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2012 年10 月12 日

「しつけ」として殴った

 私はゴルフと言う物は、練習していて、事件にはならなかったが、肝を冷やしたことがあって、それ以来絶対にやらないと決めている。
 いやいや、歳がある程度に達すれば、いい運動だから、そのうちにやるさ、と言った人もいたが、65歳を超える今でも全くその気にならない。
 勿論、だからと言って、やっている人を揶揄する気持ちは毛頭ない。
 そんなど素人だから、「練習用クラブ」というものがどれほどの物かも知らないのだが、表題の事件が先日起こったのには驚いた。
 このブログでも、何度か言ったと思うが、基本的に「体罰」は必要だと思っている。
 ただし、そのためには、絶対的に必要な条件がある。
 体罰を与える方は「自分のやっていることがどれだけのダメージを与えていて、それが耐えられ、世間的に許されるだろうか」と言う事を充分に自覚し、与えられる方は「与えている方も同様にダメージを受けているのだ」と思うような体罰になっていることである。
 一般の人よりも少しだけ早く電子通信の世界に入り、仕事のことなどは殆ど「電子メール」で済ませてきた私が言うのもおかしいと思われる方も多かろうが、その反動としてかも知れないけれど、「飲みニケーション」にはかなりの時間とお金を使った。
 豪気で言う訳ではないが、大蔵省である家内から、月に小遣いを10数万貰っていたが、その殆どが「飲みニケーション」に費やされた(した)時がある。
 そこでは、これも何度か紹介したが「右手には座るな」というくらいの「体罰」派だった。
 当然そんな私を忌避する人間もいたが、多くは甘んじて受け入れてくれ、注意したことは直すと共に、その部下にも伝えて行ってくれたと、後で聞いたときには嬉しかった。
 仕事などの命令や指示には、確実性を確保するために電子メールも良いが、それで意思が通じ合うためには、日頃の対話による付き合いが必要である。
 どうか、先ずは「体罰を与えそうな方」に知ってもらいたい。
 その体罰を自分が受けた場合、どれほどのダメージを受けるのかを。
 かつて、往復ビンタを受けたことがあったが、そのときの先生の眼にはたっぷりの涙が浮かんでいたことを思い出す。

投稿者:つねちゃん
at 08 :02| 子育て | コメント(0 )

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