2012 年10 月25 日
イヤダカラ、イヤダ
百鬼園随筆を読み終えて映画「まあだだよ」と言うのをご覧になっただろうか。
実際の映画館で、家内と見て、その後ビデオを借りて、またTVでやっていたのを録画して、結局3度見た。
それで「内田百?」と言う人物に興味を持ち、この夏ようやく文庫本を見つけて、一日一節というテンポで、ようやく読み終わった。
正直な所、読んでいるうちに、とても私のような「一般人」には付いていけないと感じたのである。
でも、最後の解説で、なんだかすっきりと判ったような気になった。
それがタイトルである。
リタイアしてからは、殆どの「柵(しがらみ)」から開放されたが、在職中はその地位や立場で「これは貴方がやって当然」と言う意味から、否応無く押し付けられ、時には、全く不本意なのだけれど、その組織体の「長」と言うことにさせられ、まさか通り一片等な挨拶もできないので、付け焼刃が見破られないように化粧をして挨拶などをこなしてきたものである。
自分でも判るのだが、そんな時、帰宅してからの機嫌は悪い事。悪いこと。
今では全くそんなことにはならないように「イヤダカラ、イヤダ」を余り誇張することなく、やんわりと拒否させてもらっている。
これは、なんとも健康に良い事だと自分では思っている。
そうなると、組織体に所属していても特別の地位や立場もないので、「イヤダカラ、イヤダ」で通せるのでラクチンである。
映画は楽しく、文庫本は難しかったが、最後の解説でかなり理解出来たように思う。
今後もそれが言えるように同意できることには積極的に参加し、その中でも「イヤダカラ、イヤダ」を言えるよな平凡な人間でありたい。
これこそが、健康の元であろう。
投稿者:つねちゃん
at 08 :10| 健康
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