2012 年11 月08 日
年金暮らし、無収入
父が年金暮らしになった頃は、私自身が単身赴任で、大袈裟に言うと「全国をまたに掛けて」出歩いていて(決して活躍と言う意味ではないが)家に居なかったこともあるだろうが、その行動をはっきり覚えていない。写真を整理していると、OB会や色々なクラブに入っていて、趣味に勤しんでいたのではないか、と思われる物が時々出てくるので、想像するだけである。
ところが、よく覚えているのは、母に向かっての「僻み」に近い小言である。
母は父のリタイア後も、保険の外交員と言うことで、それなりに成績も上げていたようで、給料が父の年金に見劣りしないくらいだったのではないだろうか。
そんなことも原因の一つなのかもしれないが、何かと言うと「お前は俺を見下している」と言うような小言が出ていた。
残念ながら、そんな父に同情するのではなく、諌めさえしていた自分だった。
翻って、現在の自分を冷静に見てみると、意外と言動には出していないと思うが、結構そんな気持ちになっていると気が付くのである。
決して豊富ではないかもしれない年金で、細々ながらも、毎日感謝しながら生活できているが、決まった収入はない。
家内はアルバイト的ではあるが、金額は知らないけれど、それなりに決まった収入があるので、当時の父と同じような状況である。
小言を言ったってしようがないし、誰も諌めてくれないのだから、結局「内に籠もる」だけになるから、適当な発散場所を見つけて吐き出している。
父を見送ってから10年も経つが、少しだけ、父の気持ちが判って来た様な。
父ほどOB会や趣味の会に参加はしていないので、はけ口としても、結構「内に籠もった」物に限定されているのだが、それでも「身体」としての内ではなく、「家」としての内だから、精神衛生上はまだ大丈夫だろう、と勝手に思っている。
投稿者:つねちゃん
at 06 :56| 日記
| コメント(0 )