2012 年11 月12 日
嫌いでないもの、好きでないもの
私だけではないだろうが、人それぞれ「好きでないもの」や「嫌いでないもの」があるだろう。勿論積極的に理由があつて(これは自分勝手な理由や理屈でも構わないのだが)「好きなもの」や「嫌いなもの」も当然あるだろう。
また、「欲しいけど、お金を初めとして、色々な理由で手に入れられないものや、手が出せないもの」も場合によっては「好きと言えないけれど好きらしい」というものもあるのではないだろうか。
ビルゲイツの言葉に「億万長者になってみれば、それがどんなものか判ると思うよ」と質問した少年に答えたとあった。
私なりに考えれば、「その場その場で好きなもの」が見つかるのだろう」と理解した。
哲学的になるから、これ以上は語らず、本題に戻るけれど。
「音楽が好きだ」と言っても、ジャンルでの好き嫌いがあろう。
古典が好きだ、と言っても同様であろう。
事ほど左様に、人それぞれ積極的な好き嫌いや消極的な好き嫌いがあるのだろう。
だからと言って、それが好きな人が嫌いなわけでは決してない。
坊主憎けりゃ、とか、痘痕(痘痕)も笑窪(えくぼ)のように、一つこうだからと全てを断ずる事など出来ないだろう。
それが、選良とされた人々が、「それが常識」のように仰ったり、行動を起こそうとしたりなさっているのは、どうにも頂けない。
この事は、何わが国だけではなく、近隣諸国でも同様なことである。
まぁ、外交の方は良く判らないけれど、少なくとも友人関係においては、金子みすずの「私と小鳥と鈴と」のように「みんな違ってみんな良い」であり続けたいと自戒を込めて思うばかりである。
投稿者:つねちゃん
at 09 :24| 健康
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