2012 年12 月20 日
「肌色」という言葉は差別用語
先日孫がお母さんの誕生日に渡すお手紙を書いていて、お母さんと自分の絵を描いていたのを見て、「きれいな肌色に描けているねぇ」と声をかけると、怪訝な顔をされた。横で見聞きしていた家内が「最近は『肌色』という言葉は差別用語になるんだから、使わないのだよ」と教えてくれた。
在職中には、「差別用語」という言葉には、かなり神経質だった。
私の住んでいる所の近くには、私が知らないだけかもしれないが、対象になる人たちがいらっしゃらなかったので、実質的には無意識だったのだが、職場では結構大変な問題だったから、幾度かの研修を受けるとともに、部下にも指導する立場だったからである。
ところが、『肌色』という言葉にもそれが影響しているとは、まるで知らなかった。
部落解放問題からではなさそうで、国際化の関係かららしい。
確かに孫と同じクラスの中に、少し色の変わった子がいて、保育園時代から仲良くしていて、私にも結構懐いてくれていて、可愛いなぁと思っていた子である。
その子にっては『肌色』はこの色ではないと言われれば、確かに納得が行き、そんなことで差別する気持ちなど毛頭ない。
それでは、その色を何というかは、忘れてしまったが、家内が言うにはまだ昔と呼び方の違った色絵具(クレヨン)があるそうだ。
正に「言葉は生きている」ということだろうか。
「昔はこれだったから、いいじゃないか」というのは、大好きな古典落語中でこそ、許されるだろうが、今を生きている我々にとっては、やはり十分に注意すべきことであろう。
これでまた、新たに「学習すること」が出現したので、他人様に失礼のないように楽しく学習してゆきたいものである。
先日も書かせていただきましたが、今年のブログは明日21日まででお休みさせていただきます。
元日だけは「完全休み」ですが、そのほかの日には、例によって「採用投稿」と足りなくなったら「不採用投稿」でつながせていただきます。
投稿者:つねちゃん
at 06 :52| 学習
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