2013 年02 月20 日
些細なことに感謝が楽しい
無神論者ではないが、さりとて「熱心な信者」という訳ではないという、たぶん多くの日本人の標準的な位置にあるのだろうと思っている。両親の逝去が一つの契機となったのは間違いないが、父の蔵書の中から残しているのは、健康法と宗教関係のものにほぼ絞られつつある。
そんなことからなのかもしれないが、自分でも、「落ち着いているなぁ」と思うことがある。
勿論、凡人なるが故にも幸か不幸か、色欲をはじめとして、食欲、酒欲等々数えればきりがないくらいの欲望に取り巻かれているのが現状であるから、聖人君子になどなれる筈もない。
そんな煩悩は別にして、表題のように思うことが最近多くなってきている、というより、多くしている、といったほうが正しいかもしれない。
以前にも書いたが、まず朝「起きられる」ということへの感謝から始まって、天気(降っていても晴れていても)、血圧測定(高くても)や血糖値測定ができると意識すること等々一つ一つの些細なことに感謝しつつ過ごしている、というかそう思うことにしている。
結局打算なのだが、そう思うことによる「得」が得られる。
概括的には「ありがとう」と発音するたびに「気持ちが良い」のである。
嘘と思われる方もいらっしゃるかもしれないが、実際に「些細なこと」を見つけて「ありがとう」と声に出して(誰に聞かせる訳でなく、自分の耳を通じて聞かせる)ことを1週間ほど続けてごらんなさい。
必ずやその効果が表れてくること、請け合いである。
洗浄、ある新聞記事だったと思うが、身体的にハンディを負われている方は、私らが何気なく行っていること(靴を履くときは無意識的に足指を細くしている)ができないことを健常者が理解してほしい、とあった。
そう思うと、一挙手一投足を「動かせる」と思うだけで「ありがとう」である。
投稿者:つねちゃん
at 08 :27| 健康
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あなたのブログは非常に興味深いです
投稿者: casino online : URL at 2013 /02 /27 00 :35