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2013 年02 月22 日

孤立無業

 「孤立無援」という言葉は以前からも聞いたことがあるが、在職中数回経験したことがあるので、その悔しさは実感としてまだ残っている。
 昨日のブログではないけれど、まさに「四面楚歌」であった。
 解決法は、幾度かあったけれど、基本的には「自分から話しかける」ことだったと思う。
 幸いにして、母方の伯父から「酒」についてはいろいろと教えてもらっていたし、父からは交際術の一つとして「麻雀での付き合い方」も教わっていたので、それで難を乗り切れたのだと、今でも感謝している。
 酒は「飲めればいい」ではなく、なにがしかの蘊蓄や作法、麻雀でも「勝負」だけではなく、手作りの妙味などの作法があった。
 話を本題に戻して、最近の新聞で、標記の言葉を聞いて驚いた。
 現在の「無業」は「本当に仕事がないのだろうか」。あの仕事は嫌だ、この仕事は自分に合わない、とか、一旦良いと思って入ったけれど、思ったことをさせてもらえないから辞めて次を探す、とかを繰り返して「失業」に甘んじているだけではないだろうか。
 また、そんな子を親は「良いよ、良いよ、暫くなら食わしてあげられるから」と甘やかすから子は親離れできないし、親も子離れができないのではないだろうか。
 また「孤立」という意味では、本当に親身になって心配してくれ、労苦を共にしてくれる「伴侶」を真剣に探して獲得していないからではないだろうか。
 幸い我が家では、息子、娘ともによき伴侶を得ているが、同級生の友人の子息、令嬢にはまだその機会がない人も結構多いと聞く。
 かなり乱暴な言い方になることを自覚しながらも、若い時の男性の結婚観は「結婚すればタダで安心してセックスができる」からでいいのである。
 嫌々ながらでも仕事をしていて、そのうちには実績も僅かかも知れないが認められても、結婚していないということから任せられなくなるということは、自然と分かってくるだろう。
 決して女性蔑視という気持ちはないが、そんな姿勢の男性には必ず寄り添ってくれる、もしくは受け入れてくれる伴侶がいるはずである。
 孤立は結婚で、無業は「石の上にも30年」で頑張ってほしいし、親は「千尋の谷に落とす」くらいの気持ちをもって接してほしい。
 それが子の為、ひいては自分の為になるのではないか。

投稿者:つねちゃん
at 08 :14| 子育て | コメント(0 )

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