2013 年02 月28 日
先生や指導者の不始末
女子トイレの盗撮や、度重なる「体罰」に関する報道がなされているが、頭を下げているのは、当人ではなく校長に代表される「第三者」である。リタイア後10年も経過するから、時効だと勝手に判断するが、自分が直接やったことでない場合、って、簡単に詫び易いのは、私の経験からも言えることだ。
「本人は深く反省しいます」とか「きっちりとした処分を言い渡すつもりです」とか。
兎も角、間接的に「管理責任」を責められることはあったとしても、いわば「蛙の面に何とか」でしかない。
また、詫びた人間が「これからは気をつけろよ」と当人に一杯飲ましていることだってある(私の場合だが)。
本人は、人から見られないところで、舌を出しているかもしれないのである。
教師とは、真っ先に「嘘をついてはいけない」と教えるとともに、ワシントンの逸話だったか「自分がやった子は自分で詫びる」ということも教えるべきではないのか。
なぜ当人が出ないのか、出させないのか。 いつまでも「庇ってばかり」いると、庇られるのが当然と「のさばる」教師が増えるばかりではないだろうか。
それで、しっかりとした子どもが育つのだろうか。
勿論、だからと言って、責任者が免責だというつもりは毛頭ない。
まず本人にしっかりとした責任を取らせて、そのうえでの管理責任を取ってもらうべきであり、現在はその順序が反対になっているのではないか、ということである。
在職中の私はどうしたか、って?
立派なことは言わない。命じた責任が私にあったということで、詫びてから、本人自身の言葉で詫びさせた。やっぱり逆だったのだろうか。
投稿者:つねちゃん
at 08 :37| 健康
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