2013 年04 月11 日
音読記
音読していて、過日「仏教なるほど事典」というのを読み終えた。書き写しや音読で、宗教関係のものは、大体これで終えたと思っていたのだが、この本を読んでいて、「これも読んでみようか」というものに出会ったので、まだしばらくは続きそうである。
以前にも紹介したが、父を見送る前までは、無神論者ではなかったものの、お寺さんやお経については「お付き合い」としか思っておらず、お寺さんとの付き合いもほとんど母に任せていたのだが、その母も認知症になったりで、「しようがない」と思いながらお付き合いを始めたのである。
在職中に「お経」というものに少しだけ触れたとすれば、部下を叱責するときの言葉の一つに「理屈はそうだろう、それはそれでっばな学問だが、現実とは些かの乖離があるのではないだろうか。言うならば、どんなに立派なことが書いてあるお経でも、現実にそれができるかどうかは、やはり体験で裏付けなければ、何の意味も持たない」と言っていた。
その信念は、今でも変わっていない。
また、ブームになっては消え、また起る「般若心経」については、「色即是空、空即是色」をさすがに「色」を「色気」とまでは勘違いしない程度には学習し、「無」ということについても、少しだけ読み聞き齧ったことがある程度だった。
リタイア後、チラシの裏を使ったりしての「ずぼら写経」を通じて、「門前の小僧」程度にはなっただろうか。
いまだにその神髄などは解る筈も無かろうが、一つだけ違って来ているのではないか、というのは、「お経」の文字面に接しても「つまらない」と思わなくなったことだろうか。
一応は「なるほど」と理解し、その言わんとするところを汲んでみる、という姿勢になったのではないだろか。
そのうえで、自分の意見はこうだ、と主張するようになっことだ。
以前は、罵声で、相手の話の途中に蔽い被せて激論していたので、ある研修会で「向かってくる戦車」と言われたが、それは大分少なくなったのではないだろうか。
勿論、加齢のせいでその元気がなくなったことも大いに影響しているのだろうが。
投稿者:つねちゃん
at 06 :33| 健康
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