2013 年04 月16 日
「目の当たりにする」をどう読むか
勿論「まのあたり」であり「めのあたり」ではない。ところが、最近というかしばらく前までは「間違いです」と悩まずに判断していた言葉が、若者言葉の流布が多くなってきたせいかもしれないが、それも「強ち間違いではない」という風な風潮になってきているような気がするのは、私だけだろうか。
そんな言葉を、決して調べる訳ではないが、なんだか最近多く目につくようになってきている。
これは、誰かに注意しようという気持ちからではなく、本当にこれで良いのだろうか、と悩むことでもないのだろうし、ずいぶん昔に、英語を習った時に聞かされた「Living English」という教本で、先生が言われた言葉を思い出す。
「教科書の名前は『現在使われている英語』という意味ですが、それとは別に『生きていて成長している英語(言葉)』だという意味もあります」ということだった。
成長しているのだから、「昔通りの常識」は通用しなくなってくる、というのは、至極当然のことなのかもしれない。
でも、どこかで、誰かが、「これは本来はこう読む(使う)のだよ。それがなまって、現在はこうなっているのだよ」ということをやはり伝えるべきではないだろうか、と中幸年の小父さん(もうお爺さんだけど)は思うのである。
「なさけはひとのためならず」とか「いっしょけんめい」の意味も「人のためにならない」とか、「一生」では、もともとは違っていたのだと、やはり伝えたいなぁ。
ここのブログでは、あくまでも、基本精神が「のほほん」「仄々」で「徒然」だから、目くじらを立てる気持ちは毛ほどにもないのだが。
投稿者:つねちゃん
at 06 :50| 学習
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