2013 年05 月09 日
和歌は分からない
時折博物館などに行き、本来見たいものについての学芸員の解説は、詳細は別として、ある程度理解を助けてくれるので有難い。ところが、そんな中で時折和歌を引用されることがある。
そんな時、大概言われるのは「よく情景を歌いこんでいて、素晴らしいですね」というのが常套文句のようだ。
残念ながら、殆どと言っていいほど、こちらとしては理解できないのである。
シャレではないが「和歌は分からない」のである。
でも、それを面と向かって言うことは、一つには相手に失礼だと思うのと、二つには「こんなことも理解できないのなら、こんな所へ来るな」と言われそうなのが怖いからである。
それをこちらが理解したものとして畳み掛けられるのには、全くと言っていいくらい閉口してしまう。
なんでもそうだが「美しい」と感じたものは、他の人が何と言おうとも、自分が「美しい」と気持ちよく感じればいいのではないか。
逆もまた真なりで、特にアブストラクトと称される作品には、あくまでも私の評価であるが「見るに堪えない」物も無くはない。
説明の押し付けや、自分が知っている和歌などを引き合いに出されるのは「もういいです」と断ることもできるのだが、断りにくいのは、取材に来てのインタビューである。
「素晴らしい作品ばかりですねぇ、どんな作品が印象深かったですか?」と聞かれて、他に人がいない場合、逃げることもできず、曖昧に適当に答えるしかなく、内心はハラハラドキドキなのである。
こうなると、まだ見ていない作品を見ることも憚られてしまい、そそくさと出てしまう、そんなことが今まで3度ほどある。勿体無かったなぁ。
でも、この歳になると、あまり相手のことを考えなくなっている自分に気づいて、それはそれで申し訳なく恥ずかしくなってしまう。
可愛い年寄りである。( ^)o(^ )
投稿者:つねちゃん
at 09 :53| 興味あること
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