2013 年05 月29 日
少子化の責任
少子化の責任が、ほぼ一方的に女性にあるのではないか、ということで女性手帳なるものを交付しようという案が出ていたが、私としては「案の定」廃止になっしまったことは、当然だと思っている。少し前になるが、これからは男性(精子)が無くても子供が産める時代が来る、という記事を目にした記憶がある。
それが一般化すれば、そのような時代(少子化は女性が原因)も来るかも知れないが、当分は倫理上の問題もあり無理だろう。
どこかの市長さんではないし、少し前に現与党のお偉方が「女性は子供を産ま機械」的な発言で、女性を蔑視する気持ちは全くなく、むしろ助平爺としては、いつまでも老若美醜を問わず、女性は常にマドンナであったし、今でもそうである。
最近の「草食男子」では困り、若い時はそれこそ「性餓鬼」のようにギラギラした目で、より良きマドンナの獲得を目指してほしいものである。
ストーカーなどと言うことでなく、三度目までは断られることを覚悟して、どんどんアタックしてほしい。
そして、駄目ならいつまでも追いかけるのではなく、「サァー次っ!」と別のターゲットに向かってほしい。
女性も、男性はそんなものなのだ、ということを理解して、出来るべくは易しく対応してほしいものである。
そして、お互いに無理のない程度で合意して、良き伴侶となれば、「上になったり、下になったり、蝶々は良いなぁ」と言う歌詞のようになり、自然と子供も生まれるだろう。
産む時も、育てる時も「自分たちだけで」と言うことではなく、安心して近隣社会に任せなさい。
今ならまだ、私と同様な団塊の世代の人が多くそれを支えてくれるだろうし、それに甘えてもらいたい。
そうして育った子供たちは、自然と親と近隣社会への恩返しも考えるだろう。
決してそれを求めるのではなく、育てているうちに自然とそうなってゆくことは、我々自身が一番よく知っているのであろう。
投稿者:つねちゃん
at 07 :47| 子育て
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