2013 年06 月06 日
年寄は年寄りなのだ
赤塚不二夫のマンガじゃないけれど「これで良いのだ」のパクリである。先日、いやいや、最近と言った方がいいのだろうが、「老人」と言う言葉や「老年者」と言う言葉が色々な報道で使われているような気がしてならない。
自分がそんな歳だから、なおさら気になるのかもしれないのだが。
先日も、予備軍を含めると4人に1人が認知症患者になる、と言うような記事が目についた。
確か「高齢者」と言う書き方だった様に思うが、当然「後期高齢者」と言うことで、75歳以上の人を差しているのだろうから、両親もそうだったなぁ、と思いながら読んでみると、あにはからんや、65歳以上の人が対象になっているのだという。
とすると、時折中学時代の同級生とおゃぺりを楽しむ会を開いていて、大体8人前後が集まるのだが、その中には、あくまでも確率論だけれど、という希望的観測からだが、2人はそんな人がいるということになる。
それは当然のこと、私かも知れないのだ。
そんな危惧を抱きつついろんな記事を見てみると、どうもほとんどの場合65歳以上が対象のようである。
でも、そこで考えなおした。
間違いなく、私の場合は65年間を大過なくかどうかは別にして過ごしてきて今があるのだ。65歳以上が「年寄」と言うのであれば、それはそれでいいじゃないか。
「まだまだ若い者には負けない」なんてことは言う気もないしそれに向けて頑張ることもしない。
年寄には年寄りの楽しみがあり、それは多分ほとんどの場合、若い人には真似ができないことなのである。
そんな風に思と、随分気が楽になる。
さぁ、今日も66歳と1カ月を経過したわが身を愛おしく、日の終わりにはそれを秘かに祝っての晩酌を楽しみたい。
年寄は年寄りで良いのだ。
投稿者:つねちゃん
at 06 :27| 健康
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