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2013 年06 月07 日

当たり前と思わず感謝

 先日66歳の誕生日を迎え、先月末で43回目の結婚記念日を迎え、不幸にも子供は一人亡くなっているが、長男、長女ともによきベターハーフに恵まれ、女の子ばかりだが、孫も3人に恵まれている。
 メタボリックは加齢とともにしようが無いと諦めつつも、きちんと定期的に診療を受け、楽しみな毎晩のお酒も、決して上等の物ばかりではないが、美味しく飲めている。
 両親とも三代目の当主として、見送ることができ、今月末には、父の十三回忌と母の三回忌を行う準備もほぼ整った。
 一人の子供の五十回忌があと六年後に無事努めることができれば、あとは孫と一緒にお酒を飲みながらお付き合いさせてもらえることを望むばかりである。
 基本的に幸せなことであるが、一面で言えば「当たり前」な事でもある。
 先日、友人と話していると「毎日当たり前のことばかりで、リタイア後が詰まらない」と言っていた。
 咄嗟に「当たり前が一番良いんじゃないのか」と素直に言うと、「お前は良いよなぁ」と反駁されてしまった。
 特別それで仲違いになるような仲でもないし、ましてや激論になることもない仲である。
 帰宅後、「俺はそんなに良いことばかりなのかなぁ」と考えてしまったが、冒頭の通りやはり「良いこと」が比較的多いのではないかと、素直に感謝した。
 同じことを悲観的に考えれば、66歳になっても何もしていないじゃないか、特別仲が良いという訳でもないかみさんとナントこれからも付き合っていかなければならないのか、なんで男の孫が生まれないのか、孫が少な過ぎないか、もっと金があれば贅沢にもっと美味しいお酒がたくさん飲めるのじゃないか等々、いくらでも言い方があろうというものだ。
 でも、「当たり前に過ごしている」ことこそが幸せそのものである。
 そう思うと、毎日、毎時が感謝ばかりである。
 そう思いながら過ごせれば、それこそが幸せの連続なのだから、何とも楽しいではないか。

投稿者:つねちゃん
at 08 :30| 健康 | コメント(0 )

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