2013 年07 月03 日
見られていないようで見られている
リタイアして父を見送り、その後1年余りしてからの市の健康診断で「高血圧、糖尿」の診断をされたのが、大きなきっかけだったのだが、市内は「寝るだけの所」と言うことで、管外勤務や管内勤務でもそのほとんどを出張で過ごしたことから、地域のことを知らなさすぎることに気が付いて、散歩を始めた。歩ける範囲を結構くまなく歩いて、数年(多分6年位)続けて、少し飽きたので、ついついやめてしまった。前にも紹介したが、体調自体は薬を飲んでいて定期的な診察も受けており、数値的にもさほど悪くないのだが、加齢で少しずつあちらこちらの筋肉が動きにくくなっているのに気が付いて5月からまた歩き始めた。
こんなオジサンをだれが見る訳ではないから、さほど服装にも気を付けないし、今まで使っていた物をとっかえひっかえして、自分が「これで良し」と判断して、他人の目などは殆ど気にしていなかった。
ただ、歩く姿勢だけは随分昔のダンス教習が身についていたのだろう、背筋を伸ばし、さりとてタンゴの様な反り身ではなく、当時得意だったルンバのように、両足にかける体重の移動にも気を付けて、顎を引いて歩いていた。
「誰も見てなんかいないよ」と言うつもりだったが、団塊の世代と言うこともあり、残念ながらこちらはほとんど顔を覚えていないのだが、女性の同級生から見られているようで、良いにつけ(勿論割合は少ないが)悪いにつけ耳に入ってくる。
そんな事があると「見られているのではないか」と言うことで、服装のセンスは決していいとは思っていないが、それなりに気を付け、立ちションなどは余程のことが無い限りせず、公衆トイレのあり場所もわかっているのでショートカットしたりする。
一時期は、少し神経質なくらいになったこともあるが、「そんなこともあるさ、人間だもの」と相田みつお氏の言葉の如く感じるようになると、そんなことも気にならなくなってきている。
「見られている」のは間違いが無いが、さりとて「そんなでもないし、あんたが誰だかを知っている人はそんなにいない」と思うと、妙なバランスが楽しくなってくる。
投稿者:つねちゃん
at 08 :27| 健康
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