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2013 年07 月08 日

アルバイト

 富山県だけの教育方針なのかどうか知らない(調べればそれなりの解決が見つかるのだろうが、そうなると今回の主旨がぶれそうなので、書いてしまってから調べることにしたい)
 最近になって、身近に「14歳の挑戦と」言う活動が行われていることに出会った。
 お金をもらっているのか、受け入れる方にしてみれば、迷惑料との相殺なのか知らないが、一つの教育活動であることには違いない。
 これが「より早い社会活動の実地体験」ということであるならば、昔のアルバイトと同じだろう。
 今の時代「お金のためのアルバイト」と言うと、方々から非難の嵐に遭うのだろうから、本音がそうだったとしても、それこそ「口が裂けても言えない」だろう。
 そんな事から、自分のアルバイト遍歴を思い出す。
 小学生の5−6年には、新聞配達と集金。さすがに勧誘はなかった。
 中学1年生の夏休み、折から地域に大型の病院建設があり、その配管業者でアルバイト。
これはかなりきつかった。多分今ではできないのではないかと思うが、2間長さの鉄パイプ3本を担いで約100m位を何度往復しことか。
 中学2年生の時には、ヤクルト配達。36豪雪の時季で、年末には元日分と2日分を配達しなければならない。当時は入れ物は今のプラではなく、ガラス瓶だったから、配っても瓶を回収しなければならず、重さはちっとも減らなかった。結局途中で親にも話し、4歳下の弟にも手伝ってもらって泣いたことも思い出す。
 また、蒲鉾屋のアルバイトもやった。今では時効だが、無免許でバイクを運転して、担任の先生に見つかったが「事故を起こすなよ」と注意されただけだった。これには余禄があり、注文数よりも数本余計に積んでゆき、途中でパクつくことが許されていた。何しろまだ出来たて(当時はまだ真空パックではなかった)なので、湯気が出ていて「暖かい蒲鉾」だったのである。
 高校時代には、頭脳労働として「家庭教師」を半年ほどやったことがある。幸いにして、学科としての英語と数学及び国語はそれなりにできたので、英語の辞書も国語辞典、漢和辞典を持っていない中学生を教えるのはたやすいことだったし、その甲斐あってかどうか知らないけれど、目的の高校合格が成就したので、終り。
 いずれにしても、目的は「お金」だった。
 貰った物はすべて母に渡して、小遣いがそれまでよりも少しだけ多くなったことが喜びだった。
 今請われてPC講習をやっているが、これはお金が目的ではないことだけは自分の中で理解している。
 当時14歳の挑戦があったら、果たして世の中の母親は納得してくれただろうか。
 多分「お金優先のアルバイト」と「それよりも勉強」となっていたのではないだろうか。
 どちらがいいとは言えないが、ほろ苦く楽しい思い出である。

投稿者:つねちゃん
at 08 :36| 子育て | コメント(0 )

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