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2013 年09 月13 日

停滞はやはり後退か

 先日家内と二人だけで「回転寿司」へ行った。
 いつもは孫がたいてい一緒なので、手がかからなくなったという意味ではいいのだが、
やはりそれなりに気が張っている。
 それは別として、この店はいろいろと方式が変わるようで、今回は注文した品物が別のレーンで流れてきて、注文した人の所で止まるのである。
 今までは、私も何度か経験したが、見逃してしまったり、他人様の物を自分のものと勘違いして取ったりとかなり気を張らなければならなかった。
 また、普通の製品と同じに流れてくるので、熱い物(うどんなど)は冷めてしまうのである。
 顧客サービスの向上としてだろうが、やはり我々にとっては有難いことである。
 「詰まらないこと」と見逃してしまえばそれまでだし、変わったことに気が付かなかったら、これは加齢による感激度が減退したことではないだろうか。
 まして「以前の通りが良かった」と言う保守性は、自分自身が「変わらないでおこう」と言う、これも加齢による仕業で、決して健康的ではないのだろう。
 在職中にもよく言われたし、自戒の言葉としても使っていたが、「停滞は後退」である。
 世の中が日々進化しているのに「自分だけはこのままが良い」と言うのでは、アインシュタインではないけれど、「相対性後退」である。
 「昨日のままで良い」と言うよりも「昨日と少しだけ違う僕」と言った方がいいことは自明の理だろう。
 自分が変わることに気が付いたり、努力したりすると、相手や周りの変化にも自ずと気が付き、感動したりするそんな若々しい健康的な感覚を持ち続けたい。

投稿者:つねちゃん
at 06 :46| 健康 | コメント(0 )

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