2013 年09 月25 日
「完全」は完全な嘘
在職中、品質管理という部門に結構長くいたせいか、人には「性善説」、物には「性悪説」というのがモットーというか、一つの職業病だった。「今度は完全に大丈夫です」という人には、「それだけで嘘だろう」と揶揄して簡単には受け付けなかった。
私の場合は、ソフトウェアの品質管理だったから、システムが大きくなるとともに、残念ながら必ず「不具合」があるのである。
それを「完全」という言葉で保証できるのは「神のみぞ」という気持ちが常にあったし、自分もそれをリリースする責任者になった時には
「少なくとも以前の不具合の原因は明白になったので、再発は起きないと自負しています」という程度にした。
最近「完全」という言葉を時々政治屋さんの口から出るのを聞いて、「また嘘をついている」と思うばかりである。
勿論、だからと言って「完全」を求めないという訳ではなく、それを言訳の材料にすることなどは思いもつかない。
リタイアして10数年の今でも「できる範囲で」というやわな前提ではあるが「完全」を求めているつもりである。
でも、今回や、以前にもあったような政治屋さんの、やっても見ないうちから「完全です」というような言い方は、いかに国際的なプレゼンの場であろうとも、とても恥ずかしくて居た堪れないと思うのだが。
尤も、残念ながら今の政治屋さんに「恥ずかしい」という気持ちを期待することが、魚市場で新鮮な野菜を求めるくらいに困難なことなのだろうなぁ。
でも、そんな人を選んだのも我々民なのだから、嗚呼。
投稿者:つねちゃん
at 06 :34| 政治への注文
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