2013 年11 月07 日
意識しながら生きる
我が家は東本願寺の系統にあるとのことである。そんな事は父の逝去までは、ほとんど意識もしていなかったし、それ以後もさほど意識しての行動をしていたわけではない。
意識していたならば、般若心経などを読誦したり、写経的に書き写したりもしなかっただろう。
その教えの中に「今命があなたを生きている」というのがあるそうだ。
今回のテーマは、決してそれに触発されたからではなく、むしろ日々の生活の中から思ったことである。
世の中には立派な業績をあげられて、文化勲章などいろいろな褒章を受けられている方がこの時期発表される。
私は今までも、これからもそれに浴することは幸か不幸かは分からないけれど、無いだろう。
でも、思うのである。
毎日「のんべんだらり」と生きてはいるのだが、少しだけ今までと違っていることは「意識しながら生きている」ということだと思っている。
こう思うと、苦悩(と言うほどの事でも無いが)やハッピーな事を含めて、殆ど全ての事が楽しく感じられるのである。
苦悩は無いにしくはないけれど、残念ながら出会ったときには「これが私への試験問題なのだな」と思えばいいのである。
息をすることを意識されることはあるだろうか。
歩いたり何か動作をすることはどうだろう。
ほとんど「無意識」になっていないだろうか。
それを「今息をしている」「今歩いている」「今何かをしようとしている」というように「意識しながら」やってみたらどうだろうか。
最初は「そんな面倒くさいこと」と思われるかもしれないが、慣れると意外に「意識」が楽しくなってくる。
そうなると、やっていることは勿論、生きていることが楽しくなってくる。
いやいや、これは私の行動指針であり、決して強制するのではなく、もちろんお勧めするものでもないのだが。
のほほん、仄々、である。
投稿者:つねちゃん
at 06 :38| 健康
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