<< 前のエントリ | メイン | 次のエントリ >>
2013 年11 月19 日

 「ピン」でも「キリ」でもない幸せ

 よく言われるように、人生には「ピン」と「キリ」があるのだそうである。
 幸か不幸か、かつて「ピン」という立場になったことは全くない。
 それに近いポジションにいた時期もあったが、それは「近い」だけでピンとの距離は他の人と比べると少し近かっただけで、距離そのものは全く隔たっていたと思っている。
 だから、ある意味で「ピン」の人の苦労も分かることができたように思う。
 また、幸いにして「キリ」という立場になったこともない。
 もう時効だろうが、一時期「ヒッピー」という人種の仲間になったことがあり、シンナー遊びもしたし、新聞紙を服の下に巻き付けて、新宿のガード下で何だか分からない飲み物で悪酔いして、一晩過ごしたこともあった。
 でも、それは一つの「麻疹(はしか)」的なもので、決して病的なものではなかったと思っているから、決して、食い詰めての「キリ」だったという訳ではなかった、と思っている。
 リタイアする前までは「これから無収入になる」という一種の恐怖感があり、それなりに悩んだこともあったが、家計は家内がしっかりと押さえてくれて、私には在職中ほどではないが(在職中は『交際費は必要不可欠』とかなり多くを天引きしていた)それなりに小遣いもいただけているから、御神さんのご利益でキリの生活ではない。
 「上見りゃきりなし、下見りゃきりなし」というから、これで十分満足であるし、むしろこれほど幸せなことはないのではないだろうか。
 これからも、こんな気持ちでいきたいものである。
 でもねぇ、太田南畝ではないが、「それにつけても金の欲しさよ」という煩悩からだけは逃れなさそうである。
 これが凡人の凡人たる所以。

投稿者:つねちゃん
at 07 :58| 健康 | コメント(0 )

◆この記事へのコメント:

※必須