2013 年12 月12 日
道徳的行動
書くネタに困った場合に、よく使わさせていただく本がある。以前にも何度か引用させていただいたが、ずいぶん昔(昭和24年)に発行された「修養三百六十五日:島影盟著)である。
多分父の購入だったのだろうが、当時の父は三十二歳だから、その年齢の時にこのような本を読んでいたのかと思うと、改めて父の恩というか遺伝子に感謝したくなる。
祖父は父が十何歳かの時に亡くなっているので、祖父のものでないことは確かである。
今日のネタは、自分にも当てはまるものと、最近音読で気が付いたことである。
「これは『道徳的行為だ』と思ってやる行為はまだ身についていない」ということである。
出典は「パスカル」のようだ。
努力によってなされる道徳的行動は、道徳ではなく、平常に行われる行動がそうであってこそ、本当の道徳である、とのことである。
児童の下校時の防犯街頭指導、交通安全週間の割り当てによる街頭指導、朝の味噌汁づくり、毎週の家の掃除などなど、細かいことばかりだが、まだ「意識している行動」である。
大いに反省すべきことである。
最初は、「努力して行っていること」が「習慣化」され、そののち「当たり前」になってこそなのだろう。
そういう意味で「当たり前のことを当たり前にやる」ということが如何に難しいか今更ながら気が付いた。
尤も、それができた暁は「仏」なのであって、まだまだ修行僧の時は「菩薩」なのだろうか。足許にも及ばない。
投稿者:つねちゃん
at 08 :36| 学習
| コメント(0 )