2014 年04 月03 日
左手(利き腕じゃない方)で文字を書く
毎朝の習慣として続けていることに「書き写し」がある。最初はポツリポツリだったが、在職中で、当時流行った「無の心」と言うことで「般若心経」だった。
リタイアしてからしばらくして、多分ほとんどの人が思うように「何かしなければ」と言う一種の脅迫感から、思い出して始めたのがきっかけだった。
それが繰り返すこと500回ほど続いただろうか。
「書く」と言うことについては、追記欄に紹介させていただくが、滅法下手だった。 その後、私が買った本や父の遺した本などから適当なものを見つけては「書き写し」をしていたのだが、文字を書くこと自体が苦手だったので、初歩からと言うことで、「あいうえお」から始め直した。
そうしている時に「左右を使うように」と言うある番組で紹介があり、「それもそうだ」と始めた。
ところが、まず鉛筆をどう持って、どんな時に、何処に力を入れればいいのかから良く分からない。
だから最初は「ミミズがのたうっている」態で、まるっきり字にならなかった。
それから10年以上も続けているが、最初ほどではないけれど、やはり混み入った漢字等は様になっていない。
それでも「続けている」のだから、自分でも感心する。
もともと両手が使える人には何の健康法やボケ防止にはならないと思うが、それならば利き足以外を使ってみてはどうか。
これは環境上中々続けられていないのだが、意外に難しい。
「書く」
在学中(工業高校卒で、企業内研修も2年間あった)もノートをとるのが苦手で、もちろん成績もよくなく、ギリギリセーフと言う状態で卒業したのだろう。
コンピュータ関係の仕事に携わって、当時としては意外な仕事が回ってきた。
ある企画をするのに「企画提案書」を作成しろ、と言うものだった。
建設費としては、当時(昭和49年頃)で7000万円程度だった。
プレゼン資料とプレゼン自体は何とかできたのだが、当時はまだワープロなどもなく、何度も直接の上司から、翌日の机の上に真っ赤になった原紙が乗せられていた。
正直、家族と一緒に転勤していたが、そのまま帰れもせず、行きつけの安酒場の隅で涙を流しながら過ごしたことがあった。
それほど「手で書く」事が苦手で下手だった。
でも、待望のワープロ(確か国産初物で、まだ研究段階の物だったはず)が使えるようになった。(確か昭和57年ごろだったと思う)
漢字に変換するところはすべて『』でくるんで使うもので、使いようと言えば、現在と雲泥の差があった。
それでもそれからどんどん良くなり、自分の使い方もうまくなった(と思っている)。
以来リタイアするまでの十有余年間は、他人のものを意趣返しではないが「朱書き」するのはS的な楽しみでもあったが、それ以外は「手で書く」と言うこととはまるで疎遠であり、リタイアした時には、右手ですら満足な文字が書けない状態だった。
投稿者:つねちゃん
at 09 :15| 健康
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