2014 年05 月22 日
パチンコの保留玉
最近は滅多に行かないが、TVのパチンコ番組は好んで見ている。その中で時折「この台なら楽しめそうだ」と言う台が見つかると、それから約1カ月ほどしてから近くのパチンコ屋を覗き、1円パチンコになっていると少しだけ(1,000円を限度)座って弾くような状況である。
一頃は「何が何でも(大分酔っていても)一日一度はやらなければ」と言う調子だったから、隔世の感がある。
それはともかく、最近の台のほとんどが「ルーレット方式」であり、同じ数字や模様がそろえば「当たり」と言う方式である。
そのために「ルーレット1回分」が「保留玉」として記憶されるのだが、平常の場合は大体4個までである。
ここで、みみっちいことだし、それならやらなければいいのに、と言われることを承知であるが、4個まで保留玉が溜まると、弾くのを一時的に止めてしまう。
確かに回転権を得るところに入ると、数個の球が「入ったよ」の代償として出てくるのだが、昔のように「稼ぐぞ」と言う気持ちではなく「いかにして長く楽しむか」に視点が行っているので、そのための「停め」である。
このことは、パチンコだけではなく、いろいろなところに「これ以上は、今やっても無駄」と言うことがあって繋がるのではないだろうか。
大体の場合は、真剣になり過ぎて気が付かないのだが、時折第三者として自分を俯瞰してみると「何も今やらなくても」と言う気がしてくることがあるものだろう。
ケチケチ精神は、このような処にも「気づき」を与えてくれる。
投稿者:つねちゃん
at 08 :44| 健康
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