2014 年06 月02 日
宗教というテーマについて
基本的に「宗教」と言うものを意識したことは、父の逝去後もあまり自覚したことはなかった、と言うのが本音である。成人する前から、毎年のお盆の墓参りは家族そろって行ったし、結婚後子供を連れていった時の写真も数枚残っている。
その時には、事前に父と墓掃除をしに行ったことは当然の如くであった。
しかしながら、その後も、家に月忌参りに来られた時、大体は居なかったが、居ても同席してお参りしたことなどまるで記憶にない。
在職して大分経ってから、管理職にもなっていたこともあり、一つのブームで「無になる」と言うのが流行ったことがあった。
当時「異業種交流会」と言うものも一つのブームで、何度か出かけたが、その中に宗教系の方がいられたのは覚えている。
しかしながら、その時かじったのは「般若心経」くらいだったろうか。
でも、何だか「無になれ」と言うことを押し付けられているようで、期間的にはそれなりに長いことやったが、果たして「宗教」としての行動だったかは意識していない。
そんな私が、このテーマについて書くのだから、多分に「それは間違っている」との指摘が多かろう。
と言うことで、門前の小僧の足元にも及ばないが、凡人の凡人としての飽くまでも「やっていることと感想」と言う意味で書かせて頂きます。
しばらくの間、お付き合いいただければ幸いです。
最初に本音を晒しておきます。
投稿者:つねちゃん
at 08 :28| 健康
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