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2014 年06 月04 日

山号寺号

 何かどんどん「宗教」から話題がそれて行くような気がするなぁ。まぁ、それはそれでいいとしよう。
 タイトルを見て「ははぁーん」と思われる方は、それなりに落語をご存じなのだろう。
 いろいろな山号寺号があるが、落語では、「寺でない山号寺号を並べて見な」と言うことから始まる。
 持っている落語の本から少し引用しよう。「按摩さん揉み療治、漬物屋さん金山寺、時計屋さん今十時、お乳母さん子大事、お巡りさん棒大事」で最後が、「あっ、南無三、し損じ」と悔しがりながらも口説くのに対して、丁稚が「だんなさんよい感じ」。
 話が大分それたが、元に戻して、お寺さんのことを「○○寺(じ)」とはあまり呼ばないで、「○○さん」と呼んでいた、今でもほとんどの場合そうである。
 その時に「さん」が「山」だとはまるで知らなかった。
 昔の家の背戸続きに「長福寺(ちょうふくじ)」と言うお寺さんの背戸があった。
 これを「ちょうこっさん」と呼んでいたし、その表向かいにある「大念寺(だいねんじ)」は「だいねっさん」だったようにである。
 宗派とは関係なく、夏休みなどの夕暮れ時、宗教に関する集いがあり、其処で「幻燈(多分今の若い人はほとんど知らないだろうが、スライドショーとでもいえばいいのだろう)」があり、大人に対する「説教」に近いものが開かれた。
 子供同士で情報交換があり、幻燈のタイトルや内容はそっちのけで「あそこのお菓子は美味いぞ」「お茶じゃなくて冷たいジュースが出るぞ」と言うことで、三々五々集まってははしゃいでいたものだが、それが何かしら宗教と言うものを身近に感じさせた行動だったろうか。
 もちろん、私は一度しか行かなかったが、「教会」でも似たようなイベントがあったが、歌を歌わされるのが嫌でその後行かなかった。

投稿者:つねちゃん
at 08 :59| 健康 | コメント(0 )

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