2014 年06 月11 日
般若心経から始まったのか
今までも書いてきたが、私の「宗教」と言うのは果たして「般若心経」から始まったのであろうか。確かに何度か書いてきたように、それを「宗教=お経」として見たかどうかは別にして、何度も聴いて、唱えて、暗唱できるようにもしたし、散歩の時の「呪文」のように使ったこともある。
しかしながら、今ここに至って「始まりは何だったか」と自問すると、やはり子供の頃の環境だったのではないだろうか。
お菓子欲しさ(当時は甘いお菓子は何物よりも子供にとって嬉しいものだった)で寺に行ったものだったから、幾つかの御本尊も見ていただろう。
それから、この節を書くようになって、子供の頃から60年を経過して、もう一度「始まりは何だったか」と言うと、やはり父の葬儀が「宗教」としてのお付き合いの始まりだったのではないだろうか。
先日も書いたが、いまだに「分からない」けれども、「正面切っての」と言うほどではないにせよ、それなりに宗教と言うものに向き合っているような気がする。
もちろん、宗派としては、長男としてもさることながら、長い付き合いである「浄土真宗」で、それ以外はほとんど目を向けていない。
ちなみに「般若心経」はこの宗派とは別なものであるとも知った。
俗に「葬式仏教」と言われるように、そんなときだけのお付き合いが主流になっているとも聞くが、その後は毎月の「月忌参り」がある。
父の13回忌と母の3回忌は少しずつ調整して親戚の方々にも集まってもらって一緒に弔った。
母の13回忌が出来るかどうかは少し不安があるが、その前にどうしてもやっておきたいのは、生後三日で亡くなった次男の50回忌である。
投稿者:つねちゃん
at 06 :33| 健康
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