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2014 年06 月13 日

正法眼蔵

 これはあまり一般的ではないものだろうか。
正式名は「正法眼蔵随聞記」という禅宗なのだろうかの、書物である。
何度も出てくるが、「般若心経」に執心していた(「無」を学んでいるのに、「執心」と言うこと自体がまるで本末転倒と言うべきなのだろうが)尊敬する先輩から「これも読んでみたら」と言われ、その当時「そのうち読んでみよう」と言うことで、買って「積読」にしていたものである。
 正信偈も自分として「大体わかった」と適当に切り上げて、父の遺した書物などを整理していた時に見つけたものだった。
 禅宗と言うものは、どだい難しく、とても理解できないのは、かつて「哲学」と言う教科を習ったけれども、先生の話が楽しかったことを覚えているだけで、全く理解できていなかった。
 一冊ではとても理解できずに、その解説書と言うものを3冊購入した(今あるからそう思っているだけで、記憶的には殆ど無い)。
 それでも「継続は力なり、読書百遍、おのずから意通ず」と言う好きな言葉の如く何度か繰り返して読んだが、やはり分からなかった。
 で、内容はほとんど覚えていない。
 禅の言葉で、随分昔に習ったので、いまだに覚えているのは「隻手の声」である。
 理屈は難しいものがあるようだけれども、それは別にして、「人間は一人では生きていけないものだと知れ」と心得ている。

投稿者:つねちゃん
at 08 :02| 健康 | コメント(0 )

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