2014 年06 月16 日
お寺さんとの付き合い
なんか一つのテーマに絞ると、同じようなことを繰り返し書いているような気がするが、まぁ「徒然」と言うことでお許し願いたい。両親が健在な時には、月忌参りに来られるのは、両親の齢に合わせたような高齢のお坊さんが来られていた。
だから、と言う言い訳にしかならないが、その場でどんな話題がなされていたのかは、家内が時折(しようが無しにと言うことだろうが)同席していたらしいが、やはり一般の「世間話」だったのだろう。
少しずつ仏教と言うものの本を読み漁っていると、どうも本来はそうではないようである。
お坊様と言うのは、現在読んでいる「乱世を生きる 蓮如の生涯」と言う本にも随所にみられるが、仏恩(ぶっとんと読むそうだ)報謝のことを中心に話し、少しでも弥陀を信じさせることだそうである。
もちろん、その前には自分が本当に信心を持っていることが前提だそうである。
ところが、こちらも代が変わり、お寺さんも代が変わったのだろうが、父の逝去後はそれでも私よりも少し年上の住職さんが来られていて、仏恩報謝の話ではないにしろ年代的に話題が合っていた。
ところが、最近は私の息子と同年代の「若様」が来られて、まるっきり話題が合わない。
残念ながら、このままではだんだんお寺さんとの付き合いも希薄になっていくのではないだろうか。
さりとて「どうすればいいのか」に対する答えは持ち合わせていない。
両親が居た頃、お盆とお正月には、お寺さんに「挨拶」に出かけていて、車で送迎したが、今はその付き合いも全く無くなっている。
投稿者:つねちゃん
at 06 :17| 健康
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