2014 年06 月17 日
門徒寺
「門徒(もんと)」と言う制度は、どうも江戸時代くらいに始まった制度らしいが、詳しくは別に調べるほどの気持が無い。当時の邪教だった「キリシタン」への入信を管理するために「お寺」に民を管理させたようである。
ここまでは「なるほど、そんなこともあったのだろうか」と歴史に疎いながら感じるだけである。
最近では、犯罪団体をはじめとして、いろんな「宗教?」が林立して、元が何なのかが分からなくなっているが、「門徒」と言う制度だけはまだ存続しているのが不思議である。
前にも述べているが、元々「宗教心」とは縁のない生活だったから、長男であったことから、家系の継続と言う中でそれも継続している、と言うのが本音である。
さりとて、別の宗教に魅力などは感じたことが無い。
そんな制度だから、本来なら「昔からのしきたりで、変更することなどないはず」であるが、我が家は門徒寺を父のまだ元気だったころに、近くのお寺さんに変更した。
距離的に近くの方が何かと便利だ、と言うのが父の考えだったのだろうが、どうも後で聞くと、そればかりではなさそうである。
十分に理解・納得している訳ではないのと、元の門徒寺への非難になるので、この辺で止めておく。
近しい従兄弟の家も、何かの理由で、昔からの門徒寺を変更したと聞く。
はてさて、果たしてこの制度はいつまで続くものなのだろうか。
門徒寺を少し強く意識するのは、やはり「葬儀」などの場合「どこに頼むか」を考えなくていいことくらいだろう。
息子の世代に、果たして引き継ぐべきかどうか、今から考えておかなければならない。
投稿者:つねちゃん
at 06 :43| 健康
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