2014 年06 月19 日
お墓
最近の「葬儀」の後は、「納骨」と言うことの代わりなのかどうか知らないけれど「散骨」と言うのがあるそうである。現在我が家のお墓の管理団体に一般役員と言う形で名を連ねて、お盆前の掃除などに少しだけだけれど協力させてもらっている。
父の納骨の時に、随分久し振りにお墓の納骨部屋(正しい言い方かどうか分からない)を開けた。
小さな骨壺があり、その時になって「あぁ、そうだった」と次男の葬儀もささやかに行い、納骨したことを思い出した。
毎月の命日は思い出して、仏壇に手を合わせ、毎年のお盆には思い出すのだが、亡くなった仏さまにはなんとも不信心の極みである。
その他には、祖父母の骨壺、父の妹さんの骨壺、そして両親のものが置かれてあり、幸いにして、まだ綺麗なままになっている。
行く行は私らもこの中に入るのだろうが、さて、その後の代はどうなるのか、分からない。
最近のデジタル社会では、ネットでのお墓まいり、と言うのもあると聞く。
TVでやっていたが、そのお寺さんのサイトに入って、自分を証明すると、位牌が出てきて、お経が流れる、と言うのである。
確かに、夏の墓掃除などは必要なくなり、便利ではあるが、そうなると、一種の「行事」となっておよそ「宗教」とは関係なくなるのではないだろうか。
最近は「葬式仏教」と言われ、その時にしか関係が無いと思われているとの話も聴くが、今一層のお寺さんの工夫を望むだけである。
投稿者:つねちゃん
at 06 :50| 健康
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