2014 年11 月06 日
なんでも学習
昨日と同じようなことになるが、「学習」と言われても、長い間専門的な仕事をしていて、いきなり「なんてでもいいから学習しよう」と言われてもなかなか動けない。これは私も当然だったし、またそれを「他人様から言われる」と言うことになると、同意するよりも反発心の方が強くなって「お前の言うことなんか誰が聞くものか」と言うことになってしまう。
でも、よく考えてみれば、人は自然に、無意識的に学習しているのですよ。
教科書など無くても、散歩をしていて路端に今まで気が付かなかった小さな花を見つけたら、綺麗だなぁ、って思いませんか。
そしたら次に「どんな名前なのだろう、できれば自分の近くにも咲いてほしいなぁ」などなど次から次に発想が湧くではありませんか。
それが学習の「種」でしょう。
「種は撒けば生えます」そんな風に「気が付いたら」でいいのです。
リタイアしたら、今まで見向きもしなかったものへと目が向きます。
それが自然に「種」を探し出してくれるのです。
勿論良い事ばかりではありません、場合に寄ったら「嫌なこと」も学習のためになることもあるでしょう。
のんびりゆっくり種を探して、それから気に入ったものだけを「学習」の対象にすれば、無理なく一歩踏み出せます。
勿論、嫌になったら止めればいいのです。
それで誰かに揶揄されることはないのですから。
投稿者:つねちゃん
at 06 :50| 健康
| コメント(0 )