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2014 年12 月12 日

一病息災の幸せ

 一般的には「無病息災」と言うのが通例であるが、私はなぜか20代のころからこちらの言葉の方が好きだ。
 幼少時には「健康優良児」と言うことで表彰も受けたと聞くし、その後3歳の時に「小児疫痢」と言う病気になり、生死の境を迷って、今は亡き両親や祖母にまで世話になったと聞く。
 その後は「病抜け」のように、ほとんど病気らしいことには遭遇しなかったので、それが糸を引いているとは思わないのだが。
 課長職になったある時に、部下のお母さんの不幸に遭遇し、お父さんとの話に「やっぱり人間無病息災が一番やちゃ」と言われ、若いこともあったのだが「それは違うでしょう」と場も弁えず議論したことを、自分の至らなさに今でも苦々しく思い出す。
 でも、やはり「無病」だと「慢心」が顔を出す。
 だからちょっとした異変でも「何でもないさ」と見過ごしてしまうことになり、気が付いたら大変なことになっていた、ということは枚挙にいとまがないくらいである。
 私はそういう意味も含めて、昔から「臆病者」だった。
 だからいまでも「これは大変な病気(もしくはその前兆)ではないだろうか」と思うこととが多い。
 そんな私でも、「なんともないさ」と思ってしまうことがあり、それを他人様から指摘されると、「そんなことはないさ」という反論が咽喉から出そうになる。
 そこを「グッ」と抑えるのだが、最近はそれがそんなに苦痛にならなくなってきている。
 「そうかも知れないなぁ」と思うようにして、できる限り(この辺が横着なのだが)自省したり、定期診察の時に医師に相談することにしている。
 そんな心配をしながらも、毎日大過なく過ごせている、ということはやはり幸福なのだろう。

投稿者:つねちゃん
at 06 :41| 健康 | コメント(0 )

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