2015 年03 月26 日
「一日一禅」を読みながら
今年から始めた「書き写し」の材料としての「一日一禅」という本が面白い。手に取った契機は「禅の公案」でも学習してみようか、という軽い気持ちからだった。
ずいぶん昔「隻手の声」という公案を教えられて以来座右の銘の一つに加えてきただけだったので、その他にもいろいろとあるのだろうと思ったからである。
今回の「面白さ」というのはそんな意図ではなく、臨済、黄檗、恵瓊など名前だけしか知らない高僧が登場する逸話である。
「この人はこれだけ凄かった」というものも当然あるが、面白さは逆の逸話である。
「この人だって昔はこの程度だったのだよ」というものである。
お釈迦様は別として、生まれながらの高僧というものは当然居ないわけで、そういう意味で笑いながら楽しみ、でも名前が残っている、ということに感心しながらの楽しみである。 また、こんなに立派な人でもそんな時期があったのだ。
そういう意味では現在の私も「これでいいのだ」と開き直ったり、得心したりもするのである。
投稿者:つねちゃん
at 09 :14| 健康
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