2015 年09 月16 日
嬉しい悲鳴
本当に「嬉しい悲鳴」なんてことがこの世にあるのか知らなかった。ところが、この季節にばったり遭遇した。
なんという嬉しい事か。
もったいぶらずに言うと、連日朝夕約30−40個の栗が収穫できるのである。
最初のうちは小さな毬(いが)が自然淘汰の結果だろうが、ポツポツと落ちていたので、去年と同じようにあまり実らないで朽ち果てるのだろうか「桃栗3年と言うから、5年目なのだからそろそろ取れてもいいはずだがなぁ」と心配していた。
勿論小さな毬の中には食べられるものは全くなかった。
ところが、数日畑へ行かなくて、天候もあまり良くなかったので、忘れていた。
他の野菜も天候不順もあってあまり期待できるものではなかったせいもあった。
ところが、久しぶりに行ってみると、上の方の毬がもう沢山割れている。
高枝切で落としてみると、美しい茶色の大きな実が入っている。
最初の日は20個だったので、それで満足して、早速茹でて家族で食べた。
ところが、それから1週間もすると「毬を落とす」作業は殆ど必要が無く、落ちているものを拾うだけで、前述の如くの収穫である。
勿論最初のうちは「嬉しい」だけで「悲鳴」などは出なかったが、それが今日まで約4週間も続くと、さすがに我が家だけでは消費できなく、そこらじゅうに配って回ってもまだ収穫が続いている。
まさに「嬉しい悲鳴」の連日である。
自然の恵みに大きく感謝。
投稿者:つねちゃん
at 06 :38| 健康
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