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2017 年05 月11 日

読み齧り

 連休中も「音読」は欠かしていませんでした。  やはり「お休み中」という(サンデー毎日の生活者が「何を言うか」との指摘は覚悟しながらも)気分的にリラックスしていたせいか、読んでいる内容がなんだか素直に受け入れられるような気がしました。  今回は、以前にも一説紹介したと思いますが「自警録」(新渡戸稲造著)からです。  「第26章 理想の実現は何処」の「2項 理想はどこまで行っても達せられぬ」です。 冒頭に、カーライルの、次の言葉を引用しています。  「如何なる卑しい者と言えども決してこれに絶対的満足を与えることはできない」。  在職中のある時期、いろいろな人から「理想を目指し、それを達成しろ」というような訓示などを受けたのは、団塊の世代の私たちだけではなかったでしょうし、現在でも似た様なことが繰り返されているのではないかと思います。  新渡戸氏は、もしくはカーライルはこれに反論しているのではないかと思ったくらいです。  でも、行を読み進めていくうちに「そうだよなぁ」と思うようになったのです。  むしろそうでなくてはならないのだと思うようになったのです。  家康の言葉として残されている言葉に「停滞は後退である」というのがあり、好きな言葉の一つです。  理想を実現した、として停滞していたのでは、後退でしかないのです。  実現した直ぐ後から、新しい理想が湧いてくるのです。  そうでなければならないのです。  だから「いつまでたっても達せられることは無いのです」。  リタイアしてサンデー毎日でも、気持ちだけはこうありたいと思っています。

投稿者:つねちゃん
at 06 :24| 健康 | コメント(0 )

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