2017 年05 月15 日
自分で決めた退職
現在プータローの身で、今更「退職」と言うのもおかしな話だが、リタイアして、父を見送ってから始めた、小学生(途中から時間が合えば中学生も対象になったが)の登下校時の交差点事故などが無いようにと街角にその時間に立ち始めた。 まだ、県下でも「見守り隊」などと言われる前だったように記憶するが、富山市当たりではすでにそのような活動があって、それをTVか何かで見ことから始めたのかもしれない。 年齢的には55歳になっていた。 「70歳まで元気でいれば続けたいものだ」と漠然と考えて、PCのスケジュールにも書き込んでいたのだが、以来15年間、とうとうと言うか、幸いにというか、満年齢の古希まで続けることができた。 自分への表彰である。 尤も、最後頃には健康麻雀とダブったりして、サボることも多くなったのだが。 それで「退職を」決めた。 グリーンのジャンパーを着用し、「ポンピー」と言う差し棒をもって、多分殆ど感謝等されることが無かったろうが、自己満足だった。 黄色いランドセルカバーをかけた子が、中学生になり、高校になった時「どこの高校」と聞くと奇しくもわが母校だったことも楽しい思い出である。 これは退職させてもらったが、まだ年に4度の交通安全の当番がある。 「消え去る」訳では決してない。
投稿者:つねちゃん
at 06 :44| 健康
| コメント(0 )