2017 年10 月30 日
時頼と習近平
偶々読んでた本の内容が、現実の世界と附合することがあるのは、多分私だけではないだろう。 今回の件についてもそうである。 先日中国の共産党大会が閉幕した。 特別中国のことに口をはさむ気持ちはないが、偶々、朝の音読で使っている「教行信証」の一節と、自分としては「酷似」だと思うようなものが一致した。 教行信証では、時の帝の北条時頼に招聘された道元が、一門一族の多くの血を流して、王に付いたことに対して「自分は阿闍世王(父を殺して王位についた)と同じ仏道に反いているのではないか」と聞いたところである。 「教行信証」は親鸞が著したものだが、その中で、「五逆と誹謗正法は救われない」とのことに対して「一切の人々が救われないと、自分は涅槃に行けない」と言っていることの矛盾に悩んでいるものである。 深く難しいことは、いまだに理解できないが、今回の習思想や行動とどこか似ていないだろうか。
投稿者:つねちゃん
at 08 :22| 健康
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