2017 年11 月28 日
読書感想文
昨日に引き続いてになるが、偶々ブログの休日だったりしたのでしようがない。 今回は、内容的には随分と難しいものである。 「『教行信証』を読む 親鸞の世界へ」(山折 哲雄 著 岩波新書 刊)である。 8月初めから約3カ月半余りで読み終えた。 私の住んでいるところは、住民人口に比べて、お寺の数が多い街で、門徒であろうと、宗派が違おうと(キリスト教や新興宗教は別として)子供の頃からよくお寺に行き、出るお菓子が目的で、聞くともなしに説教を聞いていたものである。 在職中の電車の中でも「親鸞」という本を何度か読んだ。 それはそれとして、この本の内容は、実に分かりにくいものだった。 これは本が悪いのではなく、薄くて安い本だからと選択を誤った私の責任である。 内容は「教」「行」「信」「証」をどのように親鸞が理解したかと言うものである。 ところが、読んでいて、「へぇー」と思ったことがいくつかあるから、それを紹介して感想文とさせて頂こう。 何人(なんびと)も(「悪人においておや」という表現がある様にどのような悪人でも、という意味)全て死後は極楽へ行く。 ところが、極楽には2種類あって「本当に菩薩と言われるような人の所と、我々一般の凡夫が行くところがある。 そして、行きっ放しではなく、娑婆と行ったり来たりするのだという。 それを、菩薩様が行くところを「真仏土」、凡夫が行くところを「化身土」と分けている。 そして「行く」ことを「往相」、娑婆に帰ることを「還相」というのだそうである。 これが「門前の小僧」的な解だと、お笑いください。
投稿者:つねちゃん
at 08 :14| 健康
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