2018 年01 月24 日
私は「おめでたい人間」
佐藤愛子さんの本は、図書館で立ち読みしたくらいで、まともに読んだことは無いから、批判めいたことを書く気はない。 ところが、長寿を「何がめでたい」と言われると、タイトルだけで反発してしまう。 先日も彼女よりも10歳ほど若い方、ということは、私よりも10歳年上ということになるが、新聞に投書されていたが、「感謝しながら生きて行く」とあったので、少しホッとした。 でも、子供の頃には「正月を迎えたら一つ歳を取る」と言われ、そう言うものだと信じていた時代があった時に、お正月を迎えることに「おめでとう」と言われることは嬉しかったし、こちらも、言外にではあるが「一年何とか乗り切ったね、おめでとう」と言うものだと思ってきた。 古希を過ぎて、来年は(正月に来年のことを言うのは「鬼が笑う」のは承知の上でだが)6回目の年男になる。 やはり一日でも長生きできることは「おめでたい」と思うのは、私が「おめでたい人間」の証しなのだろうか。 これに「健康で」が付けば「御の字」である。 おかしくもあり、おかしくもなし、である。
投稿者:つねちゃん
at 06 :32| 健康
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