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2018 年03 月26 日

信心の姿

 そんなに信心深いわけではないけれど、毎朝の神棚と仏壇へのお参りは欠かしていない。 これは、信心からと言うよりも、子供の頃からの一つの「習い性」なのだろう。  かと言って、最近の若い人に多いと聞くが「あなたが信じている宗教は?」と聞かれて「無宗教です」と答え、殆どの外国人から、疑問視されるほどではない。  そんな中で気が付いたことは、仏様や神様には申し訳ないけれど、お参りの途中で、全く別のことを考えることはあっても、傍目(神仏は御見通しだろうが)からは見えないけれど、欠伸などが出る場合がある。  少し前までは、そのフレーズを再度やり直していたのだが、横着になって、「これも信心の姿」と勝手に許してもらっていることにした。  滝に打たれるお勤めもあろうが、欠伸をしても、信心の深さには関係なかろう。

投稿者:つねちゃん
at 06 :17| 健康 | コメント(0 )

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