2018 年06 月26 日
葛藤の楽しさ、AIにはない
「葛藤」と言う言葉は「葛」と「藤」の蔓が絡み合って、物事が簡単に解決できなくなる状態を示すのもので、決して歓迎すべき状態では無いのだが、私は決してこの言葉が嫌いではない。 生意気なことを言わせてもらえれば、あまり好きではなかったし、混沌としていたコンピュータの世界に、組み込まれたので、否応なく「葛藤の世界」に入り込んでしまった。 昭和40年代中期で、「昨日の本当は、今日の嘘」と言う状態が目まぐるしく襲ってきたから、元々頭が良い方では無いから、論理的に落ち着いて考えるのが苦手だった。 でも、そんな中で、時折「解けた」とか「解いた」ということに出会うと、なんとも気持ちが良い。 先日、在職中から興味を持っているAIと言うものについて考えていると、AIには「葛藤」ということはどうも無さそうである、ということに気が付いた。 だから、結果として「解けた」ことに対する喜びも無いのだろう。 こんな事から「AIに仕事を奪われる」と言う恐怖心から少しだけ逃れられるのではないだろうか。 でも、量子コンピュータと言うものも出現しているから、この問題も「解いた」と言う時期が来るかもしれないが、そこには「喜び」と言うものはない。
投稿者:つねちゃん
at 06 :23| 健康
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