2019 年06 月14 日
良い様に思う、のは難しいが
仏教関係の本は、字面を辿っいるだけの書き写しや、滑舌の訓練という意味での音読で、今までに何冊も「目を通してきた」。 だから、基本的に「しっかりと本の趣旨を理解して」などとは、お釈迦さまやそれを生業とされているお坊様に失礼で、言うことはまずない。 でも、それはそれで「門前の小僧」ということで、自分の便利なことについては、自然に身に付きまとうものである、と思う。 まさに「理解して身に着けた」ということではなく、「付き纏っている」のであり、時には便利だけれど、時々「邪魔だな」と思うことの一つが、表題のことである。 残念ながら「怒らない」と思うのは、宗教に限らず、自分の精神修養にと思って心掛けているのだが、「良い様に思え」というのは、中々難しい。 他人様が悪意では無いだろうが、やってくださったことすべてを「良い様に思う」ということである。 出来るだけ、飽くまでも出来る範囲でそう在りたいと、今日も一つでもいいからそう思いながら楽しく生活してゆきたい。 でも「何でこんなことをしてくれるんだ」という思いは、死んでも無くならないのではないだろうか。
投稿者:つねちゃん
at 06 :14| 健康
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