2010 年01 月20 日
好きな落語
年末年始に掛けて、好きな落語をダイジェストではなく、じっくりと時間を掛けて約45分位だったろうか、聴く事が出来た。演者は特定しないので、諸姉・諸兄は好きな演者を思い浮かべて反芻していただければ、それだけでも楽しいのではないだろうか。
演目は、年末は「芝濱」、年始は「百年目」である。
勿論私の場合、殆どの番組は録画してから観ているので,放送日が年末始だったかはよく覚えていない。
芝濱はご存知の通り「思いがけなく手にいる百両」(歌舞伎 三人吉三 巴白浪より)に、金額も動機も違うが、準ずるもので、お上さんがそれを隠し通し、打ち明ける場面は本来笑い話なのに、どうしても涙が出てきてしまう。
また、百年目に付いては、最も好きな部分は大旦那が大番頭に諭すところで、天竺の栴檀と南縁草にたとえ、上に立つ者は多少のゆとりと言うものを持って全てのことに臨まなければならない、というところである。
係長から管理職になった時に「必要な無駄は認めなさい」「人を問い詰めるときには必ず『逃げ道』を用意して行いなさい」ということをある本から得た示唆で自分に言い聞かせやってきたつもりである。
そんな事を思いながら聴いていると、矢張り涙が出てきてしまう。
両方の涙はその意味が違う様でいて、何か同じ様でもある。
この他には、違う演者で、何度も聴いた演題は「時そば(うどん)」だった。
これは滑稽な中にも自戒を感じながら聴いている。
「落語の話を鵜呑みにしなさんなよ」という言葉は、円生が時々言った言葉だけど、矢張りそれなりに意味のあることだと楽しみながら、今年も聴きつづけたいものである。
投稿者:つねちゃん
at 08 :50| 趣味
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