2018 年9 月25 日
弁護士任官の意義
9月29日に、日弁連で「第28回司法シンポジウム」が開催される。テーマは、「司法における国民的基盤の確立をめざして―司法を強くする4つの取組から考える―」という統一テーマの下、弁護士任官、国民の司法参加、法教育、市民と司法をつなぐマスメディアの役割を考える。弁護士任官とは、弁護士から裁判官に任官する制度を指している。
弁護士任官の意義は何か。昔は、在野法曹が裁判官になることが司法の民主化につながるという単純な理屈で考えていたが、抽象的理念的で分かりにくい。今回のシンポでは、それを「裁判官の多様性開放性」という言葉でとらえている。これをもっと分かりやすく言えば、裁判官と弁護士との人事交流の促進だ。
9月20日の日経新聞1面の「政と官 細る人材4 変わるヒント 「民間人」から」が分かりやすい。
「金融庁が7月に検査局を廃止し、金融行政の司令塔役として新設した総合政策局。(略)旧大蔵省出身や金融庁プロパーのほか、弁護士や公認会計士も含めて、様々な経歴の職員が席を並べる。金融庁は霞が関でも特異な官庁だ。1600人の職員のうち、4分の1は銀行や保険、コンサルティングなど民間出身者が占める。同庁が参考にするのっは官と民の人材交流が盛んな英国だ。(略)「民間に身を置かなければ見えない世界がある。」(略)遠藤長官は「その時々に合った経験や知識を持つ人間が常に必要だ。そうでないと深みのある行政ができない」と話す。(略)永田町、霞が関の狭い世界に閉じこもれば、民の常識とのズレやゆがみは広がる。経済や技術、そして社会が激変する時代。古いしがらみや組織の論理にとらわれていては、新たな政策領域に挑めない。すでに政策の支え手となっている「民官人」は、政と官の形を変えるヒントとなり得る。」
裁判官においても、同様だろう。狭い、同質的な官僚裁判官の世界にこもっているから、皆、同じ、顔のない裁判官となり、岡口さんのような存在は、裁判官の秩序を乱す存在に見えてしまうのだろう。