2009年08月17日
日光への旅 11 横川SAで休憩
伊勢崎インターへ入るのでは、一苦労した。地図では、高速道と国道の間を入っていくことになっている。ところが、高速道を通り抜けて入ろうとしたら、一方通行で進入禁止。おかしいなあ、地図では、あそこを入るはずなのに、と思いながら通り過ぎるが、その後は、延々と田舎の風景である。1キロほども行ったかと思われるところで、ようやく交差点があったので、左折して、しばらく行ったところで小さな駐車場らしきものを見つけてターンしてもどる。高速道の手前と思われるところで右折して入ろうともどるが、中央分離帯があって右折はできない。次の交差点で右折して、広めの歩道でターンして、再チャレンジする。
なんのことはない。高速道路だと思っていたのが高架になっている国道で、そこへ向かって上っていくと、左の方に高速道路が見えた。しかし、なぜ、下からそのことが分からなかったのだろう。何とも不思議である。
高速に乗ってからの地図は用意していなかった。昨晩サービスエリアでもらった小冊子にあった地図を見ながら、高崎JCTを抜け、藤岡JCTから上信越道に入ることになる。高速の走り始めは、スピードを抑え気味に走る。高崎JCTを抜けると、関越自動車道は3車線である。幸いそれほど混んではいない。しかし、藤岡JCTの先で25キロの渋滞という不気味な案内がある。
いよいよ上信越道に入る。次々と地名の入った案内表示がある。しかも矢印で車線の指示まである。しかし、このあたりの地理に不案内なものにとっては、わけが分からない。まいったのは、とにかく大型トラックが多いこと。とにかく横川SAまで行って、そこで休憩仮眠をとって家を目指すことに決めて、何とかたどり着こうとする。しかし、疲労がたまっていることもあって、とんでもなく遠く感じる。その上、目がかすんでいるのか霧が出ているのか、視野がぼやける感じがする。
ようやく横川SAにたどり着いたら、ほとんど19時だった。釜飯もだるま弁当も売り切れ。さほど腹が減ってはいなかったが、ぼうっとした頭のままにそばを注文していた。ふとテレビを見ると、沖縄で津波のニュースが流れている。そういえば、ラジオも聞いていなかった。
車にもどって、街灯の明かりが差し込まないところに車を移動し、とにかく寝る。
目が覚めると22時、3時間はぐっすりと寝たことになる。おかげで気分はすっきり。時間的にも、高速を下りるのは明日にまたがることが確実で、高速料金が半額になる。
22時15分出発
なんのことはない。高速道路だと思っていたのが高架になっている国道で、そこへ向かって上っていくと、左の方に高速道路が見えた。しかし、なぜ、下からそのことが分からなかったのだろう。何とも不思議である。
高速に乗ってからの地図は用意していなかった。昨晩サービスエリアでもらった小冊子にあった地図を見ながら、高崎JCTを抜け、藤岡JCTから上信越道に入ることになる。高速の走り始めは、スピードを抑え気味に走る。高崎JCTを抜けると、関越自動車道は3車線である。幸いそれほど混んではいない。しかし、藤岡JCTの先で25キロの渋滞という不気味な案内がある。
いよいよ上信越道に入る。次々と地名の入った案内表示がある。しかも矢印で車線の指示まである。しかし、このあたりの地理に不案内なものにとっては、わけが分からない。まいったのは、とにかく大型トラックが多いこと。とにかく横川SAまで行って、そこで休憩仮眠をとって家を目指すことに決めて、何とかたどり着こうとする。しかし、疲労がたまっていることもあって、とんでもなく遠く感じる。その上、目がかすんでいるのか霧が出ているのか、視野がぼやける感じがする。
ようやく横川SAにたどり着いたら、ほとんど19時だった。釜飯もだるま弁当も売り切れ。さほど腹が減ってはいなかったが、ぼうっとした頭のままにそばを注文していた。ふとテレビを見ると、沖縄で津波のニュースが流れている。そういえば、ラジオも聞いていなかった。
車にもどって、街灯の明かりが差し込まないところに車を移動し、とにかく寝る。
目が覚めると22時、3時間はぐっすりと寝たことになる。おかげで気分はすっきり。時間的にも、高速を下りるのは明日にまたがることが確実で、高速料金が半額になる。
22時15分出発
投稿者:at Sushiat 22:15| 日記 | コメント(0)