2026 年1 月30 日
2026 年1 月29 日
読書感想文
今回読み終えたのは、「漢字の謎 知れば知るほど面白い」(日本語倶楽部「編」 夢文庫 刊)です。 この本は2023/8/18から「音読」ということで読み始め2024/1/11に音読完了したもので、「また何かで読んでみよう」と蔵書として残しておいたもので、2025/4/24から「書き写し」ということで利用したものです。 感想から言うと「漢字にはこんな楽しみ方もあるよ」という感銘を受けたものです。 勿論、いつも言うように、他人様に「こんなことも知っているんだよ」と吹聴するための物ではなく、飽くまでも「秘めた楽しみ」ということでは、ご一読も二度読みでもお勧めしたい本です。 1997/9/1初版発行となっていたものを、多分私が買ったものだと思いますが、版を重ねているかどうかはわかりません。 古本屋や図書館には残っているかもしれませんね。 大見出しの目次だけの紹介 1.見た通りの姿かたちがそのまま漢字になった 2.漢字のルーツはいったいどんな文字だった? 3.自然を表す漢字は豊かな想像力のたまもの 4.似ているけどちょっと違うこの使い分けにご注意! 5.漢字の由来からわかる昔の人の素顔とは 6.中国から渡来した漢字はこうして日本語になった 7.漢字から古代人の暮らしが見えてくる 8.お国も違えば漢字の意味もまるで変わる 私の感想は、上記の通りですが、編者の結語がありますので、それを紹介して終わりにします。 私たちがふだん何気なく書いたり見たりしている漢字に、意外な心理が込められていたことが、よくわかってもらえたことだろう。カタカナ日本語の氾濫、ワープロの普及で、ともすると親近感が薄くなりつつある漢字だが、大切にあつかっていきたいものだ。2026 年1 月28 日
年が明けてからの区切りで
「読み・書き」のデスクルーチンをもう随分長い間続けているが、今年は一つずつ終わったら別の方法に変化させてみようと思っている。 幾つかあるのだが、その中の一つは、もう随分前から使っている「漢和辞典」の「漢語林」というものを最初の項目から一つずつ読んでみようと思っている。 勿論年長けた脳細胞に「覚えろ」というのは無理な話なので、それは端から諦めて「へぇー、という宝物探し」という目的である。 今までも何度もお世話になっているし、漢字クイズ本の参考にもさせてもらっているのだが、「知っている言葉」でも「こんな漢字を書くのか」というのがたくさんある。 試験を受けるわけではないので、お金のかからないボケ防止の楽しみである。 今後も後継作業については、もちろんシリーズの継続もあるが、傘寿を迎えるということで、新鮮さを味わってみよう。2026 年1 月27 日
簡単にできることも、慎重に最後までやる
昨日の延長線上にあるのだろうが、今までは「簡単に」できたことが、だんだんそうで無くなってきているのにも気が付いてきている。 ここでも、「これをやる」と声に出して自分に言い聞かせてから、取り組むのにも「ゆっくり」を心がけようと思っている。 なぁーに、目的の物は逃げも隠れもしないのだ、自分が落ち着いて、それを把握し、終わって仕舞うまで遣る。 もちろん「元有った処へ戻す」が入っているし、それを「指差称呼」で確認してから、次の行動に移るように。 でもなぁ、本来の「時間貧乏性」なので、なかなか治らないんだよなぁ。2026 年1 月26 日
認知症の走りか
最近いくつかの物が「無くなった」ということがあった。 身の回りを探しても見つからない、どうしても「誰かの所為じゃないか」と疑いの目を持つことになる。 ところが、ひょんなことから見つかって、他人様を疑ったことを恥じる。 幸いにして「あんただろう」という言葉は今のところ出していないようだけれど、母が施設に通う前から、家内が疑われることがあったし、父の場合は、大声こそ出さなかった(私の前だけだったのかもしれないが) 様だけれど、家内も疑惑の目で見られたことがあると言っていた。 今回の場合も、結果として「自分(が不注意でか紛失か忘却していた)の所為だった」のである。 十分に落ち着いて考えれば、まだそれほど酷くないのではないか。2026 年1 月23 日
孫が希望学校に合格
長男の娘が、希望していた学校に推薦で合格したと、先日のグループLINEで知った。 その学校は、創設当時に私も行きたかった学校だったのだが、残念ながら「お前の成績ではだめだ」と言われたので、早々に諦めたところである。 そこを受験することは、全く知らなかったので、二重の喜びだった。 学科が何かはまだ聞いていないが、私の希望とは違っていたとしても、本人が希望したのだから、大いに褒めて祝ってやりたい。 尤も、息子の嫁のお母さんが年末に亡くなったので、その49日の法要を過ぎてからにしようということになっている。 我が家としての「第一吉報」である。2026 年1 月22 日
予想疑わぬ大雪
昨晩から今朝にかけて「予報されていた通りの大雪」に見舞われた。 娘夫婦と孫が各々の車で出かけるので、出車するに困るほどではなかったけれど、それでも30cm以上は積もっていた。 昨日帰宅した順に留めるために、孫の車と娘の旦那(義息)の車が、そのまま雪に埋もれてしまっていた。 出る順は、義息が一番で、私が5時過ぎに出た時にはスノーダンプで粗方出社準備ができていた。 それから私は孫の車の周りと、玄関先などの除雪で、兎も角皆ほぼ遅れを計算に入れた時間に滞りなく出かけた。 私は朝食を摂った後、虎狩状態に残された雪を除雪機できれいに除雪して、終わったのが9時少し前。 久しぶりの大きな運動だった。 一つだけ計算していなかったことは、除雪機を収納している小型の車庫のシャッターが、冷気で凍り付いていて、昨晩の風呂の残り湯でどうにか開けることができたことだった。2026 年1 月21 日
時限的0%に騙されるな
今度の選挙戦の目玉としてだろうが、自民党が「時限的食料品0%」という謳い文句を言っているという。 これで集票しようという意図が見え透いているが、果たして国民の多くがこれに期待するだろうか。 一選挙民として言うなら「馬鹿にするな!」と言いたい。 実際に選挙までには間に合わないことが、言葉の端々に見え透いている。 「しないことも視野に」「法制化を検討する」と言っているわけで、「遣ります」とは決して言っていないのである。 視野に入れたって現実的には無理だった。 検討はしたのだけれど、自動機への対応が間に合わなかった。 いくらでも「逃げ道」はあるのである。 これで集票できると思われた国民は、矢張り怒るべきではないだろうか。2026 年1 月20 日
平和賞のメダルで喜べ
面白く、これが耄碌の象徴という記事を見た。 ノーベル平和賞のメダルをもらって破顔哄笑の耄碌爺さん。 マスコミでこんなことを書くと、いろんな圧力がかかり、とてもじゃないが書けないだろうが、多くの人が、同様に思っているのではいだろうか。 当然のことながらそういう報道が、「耄碌」とは書けないだろうが、ノーベル賞委員会から発表されたともあった。 こうなると、爺さんではなくて、ビール瓶のキラキラ光る王冠バッジをもらって、他愛なく喜ぶ「何でも欲しがり坊や」でしかないのではないか。 さすがにこれには、取り巻き連中も、心穏やかではないだろう。 それならいっそのこと、期限制限条約付きで、かのお金持ちおじいさんに売りつけてはどうだろうか。 いろんな延命策を取ったとしても、150歳以降は無理だろう。 それまでの辛抱ができればだが。2026 年1 月19 日
今年の目標(その三)
是も、使い古された言葉だけれど、「一喜一憂」であろう。 「憂」という文字は、昔から言われてきたように「杞憂」という言葉に使われているように「杞の国の民が天が崩れ落ちてくるのではないかと心配した故事」から来ていると聞いています。 「有りもしないことを憂う」と心配したところで、我々がなす術は、無いのです。 むしろ、○○年中に富士山噴火による被害が、と言われているけれども実際にその土地に住んでいる人はどんな心配をされているのでしようか。 それから比べれば、むしろ現実に近いとは思うのもの、「なす術はない」と腹をくくって、大いに笑い、にぎやかに過ごすことの方が、より大切でしょう。 「一喜」で、他人様から何と言われようと、「小さな喜びを大きく喜び」、「一憂」は畏れながらも「日々の怠り」を無くすに務めるだけにしておきませんか。2026 年1 月16 日
今年の目標(その二)
次は勝手な言い回しであるが「針小棒大」に過ごそうと思おう。 これを文字を少し入れ替えて「辛小卯大」としようではないか。 「辛いことは残念ながら招かなくても向こうからやってくる」。 ネット被害がその一つでもある。 高価な対策を講じて安穏としているのも一つの手だろうが、年金暮らしではなかなかそうもいかないのかけ実情である。 そのような情報にあった場合、降りかかる前にできるだけの情報を正しく集めて対策を講じようと思う。 そして被害は最「小」限度に抑えることだろう。 犬に当たる様な「棒」という字を「望」にしてはいかがだろうか。 統計的な健康寿命は、幸いにして通り過ぎた今でも、「望」はいつまでも大きく持ちたいものである。 望みを持てば「まだ明日がある」と思えるので、生きることが楽しくなる。2026 年1 月15 日
今年の目標(その一)
昨年末には、親戚や近所の先輩の不幸が続いたりして、自分が何かしなければならない、という訳ではなかったけれど、何だか「忙しない」(標準語では「せわしない」と言葉にするが、この辺の方言だろうが「しょわしない」と言う)ことで、気分的には落ち着かないひと時だった。 そんな訳で、遅ればせながら今年の行動目標をいくつか挙げてみたいと思っている。 その最初は、昨年もそれ以前もそうだったけれど、「畏怖の念で過ごそう」である。 古い暦では、年齢を数え年で言うことから、「傘寿」を迎えていることになる。 となれば、矢張り色々な事に、「痩せ我慢などせず、畏れ慄くと共に、日一日迎えられたこと、過ごせたことに感謝していこう」ということである。 もちろん自分がやることばかりではなく、自然災害などもあるし、情報ネットワークの世界にいるんだという意識をもって、色々な「外邪」から守ることも必要である。2026 年1 月14 日
ばね指
最初はあまり気にならなかったのだが、年暮れ頃から、だんだん右手の小指が伸びなくなってきた。 調べてみたら「ばね指」というのだそうだが、手術しても再発することが多いと出ているので、しばらくは朝起きた時と夜寝る時にベッド内運動をやるので、右手の小指で足を押し付けるようにしている。 気が付いてみると、朝晩神棚にお参りするときに、今までは「こんなもんだ」と拍手の音がしなくなっていたのもあまり気にしなかったけれど、運動をやってから、少しだけ音が出るようになったような気がする。 78年掛かってなったことだから、誰を恨む訳ではないけれど、僅かずつでも改善できればいいと思っている。2026 年1 月13 日
ある男子中学生の成りたい職業「評論家」
年末始に撮りためたビデオをのんびりとみている中で、どの番組だったか、覚えていないが、「なりたい職業」というのがあり、その中である男子中学生が成りたいのは「評論家」だと聞いて、驚くとともに共感もした。 「何故」という質問に「言っていることに興味を持ったので、新聞やネットニュースなどで自分なりに調べてみたら、『自分の意見』というものが出てこなかった」ということである。 読者諸兄諸姉はどのように思われるだろうか。 ある一面では私と同様に「そうだそうだ」とお思いになることだろう。 しかしながら、落ち着いて考えてみると、私もこのブログや新聞投書で意見表明をしているが、とてもじゃないが「飯のタネ」になることは決してないし期待もしていない。 他人様が指摘したことに対して、意見を持つのは幼老に係わらずどんどんやってほしいと思うのだが、飯の種にするには「他人様が思いつかないこと「にも」しっかりと自分で事実や根拠を調べて意見を述べることが必要だろう。 でないと、評論家になったとしてもすぐに「生成AI」を含めた技術に淘汰されるだろう。2026 年1 月9 日
経過時間の経験値がずれてきている
加齢によることだと思うが、今まではこれはこの程度の時間でできていた、という経験値が、少しずつずれてきていることに、ようやく最近になって気が付き始めた。 もちろん、所要時間が長くなってきているのである。 だから、それまでの心算で予定を立てることは一度リセットして(これが中々出来ないのだが) 、見積時間を見直してみてはどうだろうか。 そのうえで、いろいろな計画を所要時間を2割ほど増やして、余ればお茶でも飲んで過ごし、ゆっくりすればいいじゃないですか。2026 年1 月8 日
「すが入る」という時の「す」の字を知っていましたか
書き写しのメインの目的は「指先を動かすことによる、ボケ防止」である。 だから、書いてある内容にはあまり頓着することはないが、昨日のは面白かった。 大根や蕪などに「すが入った」とか、豆腐に「すが入った」というように、中に隙間のようなものができることを言う。 ところが、ほとんどの書物の場合、「す」はひらがなで表記してある。 どうしてもこれが知りたくなって調べてみた。 だって、大根と豆腐では形が似ていても全く違うはずじゃないか。 正解は「髪」という字の下に「友」に代わって「松」という重ね字である。 私の考えは「とんでもないこと」だったようで、字の示す内容を知れば納得できるものだった。 是だから学習は楽しい。2026 年1 月7 日
文字をゆっくり書くと手や腕の運動になる
今年から、と言うか、過去にも何度か方針を立てたのだが、なかなか続かなかったことがある「文字は升目一杯に大きく、書こう」ということにして始めたのだが、今まで続かなかった原因の一つに気が付いた。 「時間が、随分かかる」のである。 何度も言うように「時間(ばかりではないが)貧乏性」の性質はなかなか治らないもので、時間が勿体ない、ということが原因だったと思う。 ところが、これを続けているうちに、右手分と左手分でやっているのだが、左手はもちろんそうだが、利き腕の右手でも、随分指先だけでなく腕自体が痛くなってくるのである。 「痛くなってくる所から丈夫になる」ということがあるかどうかはわからないが、そう自分に言い聞かせながら「楽しみ」を見出しながらやっている。2026 年1 月6 日
STEAM教育って知っていましたか
数え年でいうと「傘寿」になる年齢だから、この正月は「言葉が理解できる番組」として少し格調の高い講演会のような番組もボケ防止で見ている。 そんな中で「STEAM教育」という言葉を聞いて、妙に納得してしまったし、これなら年寄りになってからでもできるのではないかと思った。 もちろんどこかで発表するという意味ではなく、自分の感じたことを自分なりにいろんな分野から「質問してみる」という意味である。 Sは科学、Tは技術、Eは工学、Aは芸術そしてMは数学という分野からいろいろな「何故」を結論が出るか出ないかは問題にせず、議論するという教育手法だという。 在職中には、よくやった「ブレーンストーミング」の要領であろう。 それを番組では小中学生でやっているという。 だったら、年寄りにもできるのではないだろうか。 「早急な結論は求めず」ということだから、今年はこれでしばらく楽しめるかもしれない。 コツの一つは「自分の意見に固執しない」ということだけだという。2026 年1 月5 日