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2007 年6 月25 日

福井県開発審査会

今日、敦賀市内の総合レジャー施設(ぱちんこ店等)の開発許可に対する周辺住民による許可取消審査請求につき、福井県開発審査会で口頭審理が行われたので、出頭してきた。これは行政不服審査法に基づく審査請求の特別規定にあたる。
通常の審査請求では、書面審理で、審査請求人が口頭で意見を陳述する機会があるだけなのだが、処分担当者は出席せず、審査請求人が審査庁に対して一方的に意見を述べるだけの儀式だ。俗称、口陳(こうちん)、実際、コーチンになったようにひたすら叫ぶだけだ。

しかし、都市計画法には公開で口頭審理を行うと定められているので、処分庁も出頭して、処分庁と審査請求人が対席し、開発審査会が審理を主宰する。だから裁判に近い。
もっとも、冒頭、これまで私の所に審査会事務局だと言って連絡をしてきた担当者が処分庁側に座っていたので、さすがにそれは公平ではないと言ってかみつくシーンもあった(もっとも、こんなことで目くじらを立てたところで、開発審査会の事務局は、開発許可を出した都市計画課の中に置かれているから、所詮、市民からすると同じ穴の狢で、思わずしっぽを現したということでしかないのだが。)。

処分庁担当者も対席で座っているので、開発許可の前提事実その他について発問し、それで自分自身の疑問も解消しながら、また処分担当者の説明を聞いて自分自身の理解不足をも補いながら、自分なりに本件処分の争点が理解できた。いつもなら裁決書を見るまで謎が解けないのが、今日の審理で大体の謎が解けたから、やはり公開・口頭審理・審査機関第三者・発問可というのは大切なことだと実感した次第である。

投稿者:ゆかわat 23 :25 | ビジネス | コメント(0 )

2007 年6 月15 日

医療事故紛争処理機構

日経新聞の夕刊に「医療事故紛争解決は対話で 被害者側参加し調停機関」という見出しで、医療事故紛争を話し合いで解決する紛争処理機構をADR(裁判外処理機関)として設立するという。まずは、メディエーターを交えて被害者側と医療者側が対話をして事実関係を整理し、ついで事故の内容に応じて医師や弁護士を審査委員とする中立評価パネルが因果関係等の評価をして調停案を提示するという。

要は、医師側と被害者側、弁護士や日本医療機能評価機構や早稲田大学紛争交渉研究所が関与するのがミソだ。

裁判所の調停や弁護士会のあっせん仲裁センターと並ぶ医療紛争のADRであり、楽しみだ。

しかし、私の調停の経験からすると、最も成立率が低い紛争類型が医療紛争だ。今も、私が担当している事件には産科の事件や整形の事件があるが、難しい。何が難しいかというと、事実の認識にまず争いがある。次に、事実の評価に争いがある。双方の視点と水準が決定的に違うからだ。それが一番際だっているのが産科だろう。健康で元気に生まれてきて当たり前、医者なんだから病気の鑑別ができて当たり前と見るか、それとも、現実の医療水準や足だけを触って象を当てる難しさに思い至るか。しかも、被害者側からすると、人の命がなくなったり、高度の障害を抱えているから、医師に対する責任追及の矛先は極めて厳しいものがある。

それを話し合いで解決するには、医師と患者がそれぞれの立場に配慮をし、共感し、信頼関係を回復することが不可欠なのだろう。命がなくなった、高度の障害が残ったというのは極めて不幸なことだ。しかし、起こってしまったことは二度と取り返しがつかない。いくら医師の責任を追及したところで返っては来ない。その不幸をともに乗り越える力、その不幸に意味を感じる力を調停を通して修得してもらうことが調停の真の目的なのだと思う。

投稿者:ゆかわat 23 :37 | ビジネス | コメント(0 )

2007 年6 月8 日

コムスン介護事業所指定打ち切り問題の本質

6月7日付け日経朝刊には、「コムスン指定打ち切り」、「急成長の陰で不正横行」、「コムスン不正の手口」、「疑問多い事業譲渡」、「処分骨抜き 不信・憤り」という見出しが並ぶ。コムスンパッシングだ。さて、何が問題なのだろうか。

 まず、厚生労働省が、コムスンが介護事業所の指定を不正に受けていたとして指定の更新を行わせないように都道府県に通知した。ところで、コムスンの介護事業所の指定は厚生労働省の権限なのか。都道府県知事の権限ではないか。厚生労働省が都道府県知事を飛び越えて、特定事業所の指定更新につきとやかくいう権限があるのか。介護保険法にはそのような規定はないのではないか。

 次に、不正の中身は何か。介護サービスが不適切であったとか、水増し請求をしていたとか言うのではなく、事業所指定を申請する際、実際には雇用していない職員や別の場所で勤務している職員を勤務しているとして申請書に記載して申請をしたということらしい。確かに法では規則で定める員数の職員がいることが指定の要件となっている。しかし、その員数が一人でも欠けていれば、介護サービスの内容が不適切になったり、利用者に迷惑がかかるのだろうか。確かに人使いが厳しいということはあろうが、現実にどれほどの支障があったのだろうか。そもそもその員数に合理性があったのかがまず問われるべきではないのか。それこそ、保育所の認可を得るためには調理所を置かなければならないとかいう、お役所の単なる机上論理で決まった基準ではないのか。

 最後に、処分の効果が骨抜きになるとか、それに憤りを感じるというが、それは誰の立場に立った憤りなのか。処分を命じた厚生労働省の面子だけではないのか。指定打ち切りによって一番迷惑を被るのは誰なのか。利用者であり、雇用されている職員ではないのか。介護サービスと雇用の継続のためにコムスンは事業譲渡をしたのではないか。厚生労働省も、マスコミも、その視点が決定的に欠落している。

 6月8日付日経朝刊には、「譲渡の凍結指導」「厚労省他事業者を受け皿に」との見出しで続報記事が掲載されている。しかし、よそには事情譲渡するな、しかし来年3月までは責任を持ってサービスを提供しろというのは、不可能を強いるものだ。指定を打ち切るというのであれば、その受け皿を用意するのが当然ではないか。厚生労働省が特定の事業者の事業譲渡にまで口出しするのは、不当な民間介入、地方分権無視ではないか。他事業者から口利きでも受けているのではないかと思わせるような内容だ。

 結局、この事件の最大の問題は、介護保険サービスにつき国が干渉しすぎていること、何から何まで(箸の上げ下げに至るまで)事細かに全てを定めようとする、悪しき厚生労働省の事務のあり方に最大の問題があるのではないか。今日の社会保険庁の年金記録の問題をも生み出した厚生労働省に、事業者と利用者がどうしてこんなに翻弄されなければならないのか。厚生労働省による、年金問題隠しの臭いを感じるのは、私だけだろうか。

投稿者:ゆかわat 22 :36 | ビジネス | コメント(0 )

2007 年6 月6 日

個人情報保護法の一人歩き

最近、京都も地価がようやく上昇基調に変わってきた。と言っても、まだバブル期の水準には追いつかないが。地価の反転を受けて、調停でも、地代家賃の増額調停が増えてきた。私が担当している事件でも、半数近くがそうではないだろうか。
地代家賃の増額の事情として、公租公課の推移も一つの事情となる。地主・家主の側からは固定資産税・都市計画税の額は分かるが、借家人・借地人の側からは分からない。そこで、調停係属事件であれば、裁判所に対して、公租公課の調査嘱託の申立がなされる。先だっても、京都市○京区役所に対して調査嘱託を行ったところ、あにはからんや、個人情報保護法を盾に回答を拒絶された。聞いたら、京都市理財局が回答しないという方針だという。簡易裁判所調停係だから軽く見られたか、と思ったら、地裁の嘱託に対しても、拒否されることがあるという。訴訟における真実発見、権利義務確定、紛争解決の要請に応えること、民事訴訟法に基づく調査嘱託に応えて個人情報を提供することは、個人情報の第三者提供が認められる場合の「法令に基づく場合」の最たるものではないか。
地方分権は、自治体に法令の自主的解釈権を保障している。さすが分権先進自治体の京都市と思う。しかし、法令の自主的解釈と言っても、それは中央省庁に対するそれであって、法令の最終的解釈権者である裁判所に対するものとは違うことをはき違えてはいないか。

投稿者:ゆかわat 22 :55 | ビジネス | コメント(0 )

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