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2012 年11 月11 日

離婚

最近は、結婚式に招待されるより、告別式に参列させていただく方が多くなってきた。
職業柄、僕みたいに行政関係事件を多く取り扱う弁護士であっても、離婚相談が常時数件ある。
そういえば、芸能人夫婦の離婚裁判のことが先週のワイドショーでよく取り上げられていた。

離婚相談を受けたときにいつも思うのは、この夫婦も、きっと結婚するときは愛し合って結婚したのだろうし、将来離婚することになるとは思いもしなかったのだろうなということだ。どこで歯車が狂ったのだろう。それとも、最初から歯車は違っていたのに気付かなかっただけなのだろうか。
考えてみれば、結婚するまではそれぞれ別の生活文化の中で24時間、これまで違う人生を過ごしてきた二人が、結婚してからは24時間、同じ空間を共有するのだから、歯車は最初から違っているのが当たり前。結婚生活は、好きとか、きれいとか、格好いいとか、憧れとか、夢とかとは違う。いい部分も汚い部分も含めて全部含んだ現実なのだ。それを分かって、二人で新しい歯車を作っていかなければならない。ところが、こんな当たり前のことが、結婚するときには誰からも教えられていない。

とりわけ日本の場合は、結婚がゴールで、めでたしめでたしで、人生で一番輝くときだと平然と教えられている。
ゴールの後は何が残るの?人生で一番輝いたらその後はくすんでいくだけなの?それを考えずにいるから、結婚してからも自分の歯車をそのまま回し続けて、やがてかみ合わないことが決定的になって離婚する。でも、こんなことは、結婚するときには、人生で最高に有頂天になっている当事者には、教えられても分からないのだろう。そして、破綻するときになって初めて分かるものなのかもしれない。

ちょうど経済バブルがはじけるときのように。日本のバブル崩壊を欧米も見ていたはずなのに、サブプライムローンに始まるユーロ危機に至るまで、バブル崩壊を欧米も避けられなかったように、どの夫婦も避けられないことなのかもしれない。
だとしたら、離婚は人の死別と同じように、嘆くことなく、運命と思って受け入れないといけないのかもしれない。
こんなことは、離婚相談に来られた相談者にも、まして結婚式のスピーチでも言えないことだが、本当は一番知ってほしいことだ。

投稿者:ゆかわat 11 :26 | ビジネス | コメント(0 )

2012 年11 月2 日

3大学の開設認めず

今日の日経新聞夕刊に、文科大臣が2013年度開設を申請していた大学3校について不認可とする決定をしたとの記事が載っていた。
学校を設置するには文科大臣の定める設置基準に従って設置するものとされ(学校教育法3条)、大学については大学設置基準が大学を設置するのに必要な最低の基準を定めている。私立学校が大学を設置するには私立学校法に基づき文科大臣の設置認可を得なければならず、文科大臣は認可を行う場合には大学設置・学校法人審議会に諮問しなければならない。
国が学校の設置や特に学問の府たる大学の設置をする場合には、大学設置基準や審議会の答申に拘束されることになる。合理的な理由のない限り、大学院設置基準に適合しており、そのことについて審議会の答申もあるときは、設置を認可しないことは文科大臣の裁量の逸脱濫用として違法となろう。

本件においては、新聞記事を見る限り、審議会が設置可の答申をしたのは大学設置基準に適合していると判断されたからだろうから、それにもかかわらず大臣がこれを、個別の申請に不備があるわけでもなく、審査の在り方自体に問題があるという理由で不認可とすることができるのだろうか。新聞記事で見る限り、大臣が指摘する審査の在り方の問題というのは「新設される大学の需要や地域性などを詳しく分析するような審査体制」ではないことを指すもののようだが、このような抽象的な制度のあり方論で不認可とすることは違法ではないか。それとも、現在の審査体制・審査手続きが、さらには大学設置基準そのものも、大学関係者の身内のなれあい審査で合理性を欠くということであろうか。それであれば、違法とまではいえないのかもしれない。

それにしても、これが大学院設置基準の見直しにつながり、法科大学院に対する規制強化につながることもおそれなければならないだろう。

投稿者:ゆかわat 23 :39 | ビジネス | コメント(0 )

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