インディアン水車
構造は、写真のように金網を張ったカゴになっていて、水流で回転して、遡上してきたサケを捕獲するといった仕組みになっています。純粋に水力だけで回転するのは、千歳川だけなのだそうです。そのために、水車が回らなくなるほど遡上する鮭の数が多かったりすると人力で回したりの苦労もあるそうです。また、寒さで車軸が凍りつくこともあるのだそうです。
投稿者:ぴるぜんat 10 :52
| 日記
| コメント(0 )
| トラックバック(0 )
インディアン水車
ふ化事業に用いるサケの親魚を捕獲するため、川を堰き止めて設けた魚道に設置される捕魚車を「インディアン水車」と呼んでいます。伊藤一隆という人物が明治19年に水産事情調査のためアメリカに渡った折に西海岸のコロンビア川で見聞して日本に紹介したもので、インデイァン水車といってもネイティブアメリカンが発明したものではないのだそうです。
写真は千歳川に設置されたインディアン水車で、年間およそ30万尾のサケを捕獲するのだそうです。千歳川の川底をガラス窓から覗ける設備もありますが、橋の上から30分ほど川面を見ていましたが鮭は一匹も溯上してきませんでした。ちなみに、川を遡上してくる鮭は身に脂が無く、卵も固くて食用には適さないのだそうです。
投稿者:ぴるぜんat 22 :03
| 日記
| コメント(0 )
| トラックバック(0 )
晩秋の時計台
札幌名所の時計台です。北海道大学の前身である札幌農学校の演武場として明治11年 に完成したのですが、周辺の火災の度毎に焼け残って札幌本庁として使用されたり、裁判所になったりし、明治39年に札幌区に移管されて現在地に移転した後も、相次ぐ火災をくぐり抜けて郵便局になったり、図書館として使用されたり、また昭和18年には北部軍公用施設として使用されたりとの変遷を経てきたそうです。
札幌市は現在でこそ人口185万人を超える全国5番目の都市ですが、明治のはじめ頃は、それこそススキの野っ原に家が2軒しか建ってなく、住民も7人だったそうです。
投稿者:ぴるぜんat 20 :25
| 日記
| コメント(0 )
| トラックバック(0 )
はやにえ
色んな鳴き声をすることから、「百舌」と書いて「もず」と読むのだそうです。冬場に備えて食糧を確保しておくために、雪に埋もれてしまわない高さの小枝などに餌の蛙やトカゲなどの小動物を串刺しにしておくので、はやにえ(早贄)の位置でその年の積雪量が分かると言われていますが、本当のところは諸説があって何のためなのかは良く分かっていないのだそうです。ちなみに、この蛙は1m92cmの高さに串刺しになっていました。
投稿者:ぴるぜんat 18 :00
| 日記
| コメント(0 )
| トラックバック(0 )