草枕
「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」と、漱石は山道を登りながらこのように考えたのですが、「住みなすものは心なりけり」と言ってみても、「百年に一度の不況」を煽る暗いニュースばかりが飛び込んできます。
写真はガンジス川の日の出(ベナレス)です。
投稿者:ぴるぜんat 16 :57
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釈迦牟尼仏
写真左は大昭寺の屋上です。両脇に金色の臥鹿を配した金色の法輪があります。法輪というのはお釈迦様が説いた仏教の教義を示すもので、教義(法輪)を他人に伝えることを転法輪と言います。
ヒンズー教徒の聖地であるベナレスの北のサルナート(鹿野苑)で、お釈迦様が悟りを開いたのちに初めて説法されたのを初転法輪と言い、その初転法輪寺の脇にはタルチョが掲げられたチベット寺院がありました。初転法輪寺のご本尊は釈迦牟尼仏(写真右)であり、ラサの大昭寺の釈迦堂にもご本尊の釈迦牟尼仏がお祀りしてありました。
投稿者:ぴるぜんat 23 :07
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イデオロギーが崩壊する中で・・・
モラルも苦悩しているのでしょうか? ただ単にエロい、何の脈絡も無い迷惑なコメントやトラックバックには辟易しています。というわけで、当分はコメント・トラックバックを「受け入れない」設定にさせていただきました。
投稿者:ぴるぜんat 23 :20
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旧正月(1月26日)は休まずに営業いたします。
旧正月、おめでとうございます。次から次へと色んな矛盾が露呈しました。地球は確実に温暖化の方向に向かっているというのに、景気は暖かくなる兆しさえも見えてきません。「面白きことも無き世を面白く、住みなすものは心なりけり」と幕末の長州藩士・高杉晋作が詠んでいましたよね。ま、なんとかなりますか。新年は1月1日(グレゴリオ暦1月26日)も営業いたしております。今年もご贔屓にお願いいたします。
投稿者:ぴるぜんat 19 :48
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三毬杖(左儀長)
平安時代の宮中で、小正月(正月十五日)に清涼殿の東庭に青竹を束ねて立て毬杖三本を結び、その上に扇子や短冊などを添えて、陰陽師が謡い囃しながらこれを焼いてその年の吉凶などを占ったという行事が起源で、毬杖(毬を打つ槌=ゲートボールのスティックのような物でしょうか)を三本を結んだことから「三毬杖(さんぎっちょう=さぎちょう)」と呼ばれるようになったそうです。鷺鳥(さぎちょう)の意味だとする説もあるそうですが、とにかく、左儀長は正月15日だとばかり思いこんでいましたので、今朝、近所の神社に古いお札や注連飾りを持って行ったら、「終わりました」ということでした。電話で他の神社に問い合わせてみたところ、12日だったり14日だったりと様々でした。で、昨日からの火がまだ燻っていたので、後始末にきていた建設業者の方に頼み込んで燃やしてもらいました。
投稿者:ぴるぜんat 20 :23
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祝 ご成人
で、柳沢淇園という江戸時代に活躍した文人画家の著書の中の1節を。「飲酒の十徳。礼を正し、労をいとひ、憂ひを忘れ、鬱をひらき、気をめぐらし、病をさけ、毒を解し、人と親しみ、縁を結び、人寿を延ぶ」
また、ドイツの哲学者カントは「人間学」の1節で「酒は口を軽快にする。だが酒は更に心を打ち明けさせる。こうして酒は一つの道徳的性質、つまり心の素直さを運ぶ物質である」とも書いています。ある意味で、その人が隠し持っている心の素直さかもしれませんが、迷惑な酒癖の方も多々いらっしゃいます。ま、楽しいお酒を飲める大人になってください。
投稿者:ぴるぜんat 23 :41
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明けまして、おめでとうございます。
形の無い物で勝手に商売をされて、その矛盾が激化した挙句の崩壊の尻拭いだけを押し付けられてはたまったものではありませんが、1968年(昭和43年)に片町の現在の場所で創業し、二度にわたるオイルショックと狂乱バブルを皆様のご贔屓に支えられて乗り切り、今年は創業41年目を迎えます。
「産地偽装」「賞味期限改竄」「使いまわし」「品質表示の偽装」など等、モラルが崩壊する中で食の安全が脅かされています。「人間を照らす唯一のランプは理性であり、生の闇路を導く唯一の杖は良心である。」とドイツの詩人・ハイネは語っています。「ぴるぜん」は、理性と良心に正しく裏打ちされた営業を続けてきたからこそ、40年の長きにわたって皆様に指示されてきたと自負いたしております。
新年は1月5日から営業させていただきます。今年も相変わりませずご贔屓いただけますようお願い申し上げます。
店主敬白
投稿者:ぴるぜんat 19 :48
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